中西学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 中西 学 | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム | 中西 学 クロサワ |
| 本名 | 中西 学 |
| ニックネーム | 野人 和製ヘラクレス 人類60億分の1の奇跡 武装ゴリラ 霊長類最強最後のゴリラ |
| 身長 | 186cm |
| 体重 | 120kg |
| 誕生日 | 1967年1月22日(41歳) |
| 出身地 | 京都府京都市 |
| 所属 | 新日本プロレス |
| スポーツ歴 | レスリング |
| トレーナー | 馳浩 佐々木健介 |
| デビュー | 1992年 |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 レスリング・フリースタイル | ||
| レスリングアジア選手権 | ||
| 銅 | 1992 | 100kg級 |
中西 学(なかにし まなぶ、1967年1月22日 - )は、日本のプロレスラー。京都府京都市出身。新日本プロレス所属。血液型A型。
目次 |
[編集] 来歴
宇治高等学校時代からレスリングを始め、専修大学に進学。全日本選手権4連覇を達成し、大学卒業後、和歌山県庁勤務を経て新日本プロレスのアマレス部門闘魂倶楽部に入門。1992年のバルセロナオリンピックに出場した。
1992年に新日本プロレスからプロデビュー。デビュー戦は藤波辰巳のタッグパートナーという大抜擢を受けた。デビュー後しばらくはアマレス用のヘッドギアを着用していた。同時期にデビューした選手は「第三世代」(第一世代=藤波、長州力など、第二世代=闘魂三銃士、佐々木健介など)と呼ばれる。その為、デビューの遅かった中西は健介と同年齢ながら第三世代扱いとなる。第6回ヤングライオン杯にて優勝、1995年6月より米国武者修行へ旅立つ。若手時代は特にマサ斎藤にかわいがられ、修行先のWCWでは「世界に通用する男だから世界に通用するリングネームを使え」と、マサに命名された「クロサワ」の名で活躍した。
1996年9月に凱旋帰国。1997年には小島聡と組んで第31代IWGPタッグ王座に就く。1999年には「G1 CLIMAX」で初優勝(第三世代から初の優勝者)。同年、永田裕志と組んで第39代IWGPタッグ王座にも就いた。
2000年3月28日、永田裕志、ブライアン・ジョンストン、吉江豊、福田雅一と格闘ユニット「G-EGGS」を結成。本隊内の独立した軍団として、蝶野正洋率いるヒールチーム「TEAM 2000」と抗争を展開。この頃、「P-4M」というメッセージを発信。「問題(Problem)」に「耐える(Put up)」事により「願いが叶う(Possible)」事を「約束される(Promise)」という4つのPからなるもので、これを意味する手のポーズも有る。
2003年6月29日、FEG主催の「K-1 BEAST II」でK-1ルールに初挑戦。同じくK-1に初参戦であり、アマチュア相撲出身のTOAと対戦するが1R右フックでKO負け。試合後の会見で前日の練習中に脚に怪我を負っていたことを告白した。
2004年、「シングルをやる為に」と本隊を離脱し反体制派へ。一匹狼となり、海賊(パイレーツ)を名乗って暴れる。短期間ながらウルティモ・ドラゴンとタッグ結成。その後は蝶野正洋のチームに合流。ニュー・ジュラシックパワーズとしてスコット・ノートンともコンビを組む。短期間で、野人→海賊→ソルジャーへとギミックチェンジを繰り返す。
2005年からは、同じくアマレス出身であり犬猿の仲である永田裕志、ケンドー・カシン、藤田和之と「チーム・ジャパン(TJ軍)」を結成。翌年の新日本のユークス子会社化に伴う猪木事務所との提携解消による藤田の離脱まで活動する。
2006年5月31日、ZERO1-MAXでのタッグマッチで大森隆男との試合後、大森の実力を認め握手を求める。大森も中西を認め握手を交わしタッグチームを結成する。6月24日のディファ有明大会でNWAインターコンチネンタルタッグ選手権に挑戦。合体技“ワシントン条約”で勝利、初タッグ結成でいきなり王者となり、2戦目の7月17日札幌月寒大会ではIWGPタッグ王座(暫定)も奪取した。9月20日付けで、蝶野&天山組の持つ第48代IWGPタッグ王座は剥奪され、同日付けで正式に第49代IWGPタッグ王者となった。チーム名を「ワイルドチャイルド」とした。
2008年1月1日、ZERO1-MAXの後楽園大会で大森とリング上で大喧嘩しタッグを解消。
[編集] 得意技
時事ネタを技名に用いる技を使い始めることが多いが、短期間で使われなくなることも多い。
- アルゼンチンバックブリーカー
- 中西の最も代表的な技。
- ヘラクレスカッター
- ウルティモ・ドラゴンとのタッグ時に開発された技。アルゼンチンバックブリーカーの体勢から相手の後頭部を叩きつける。いつの間にか封印されたことになっており、中西が解禁を口にして封印していたことが明らかになった。
- ジャーマンスープレックス・ホールド
- 一時期使っていたが、開発者のカール・ゴッチに直伝されたというアングル(実際にはフロリダのゴッチ宅を訪問して少しアドバイスをもらっただけ)を経て、再度使い始めた。ゴッチが巨人レスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントをこの技で投げた逸話を再現するため、同じく巨人レスラーであったジャイアント・シン(現:グレート・カリ)を投げ、説得力を持たせようとしたがシンがレスラーとして凡庸だったため効果は乏しかった。
- 高山善廣の同技が"エベレスト"ジャーマンと呼ばれていたことに対し、自ら"富士山"ジャーマンと命名したが、定着しなかった。高山は富士山ジャーマン命名の報をマスコミから聞くと「エベレストより低いじゃん」と一笑に付した。
- マナバウアー
- アルゼンチンバックブリーカーから数回振り回してジャーマンスープレックスを放つ。命名の由来は荒川静香により有名となった、フィギュアスケート技のイナバウアー。イナバウアー自体は、足の構え(足を前後に広げる・つま先を外に向ける)ことであり、ジャーマンの要素と考えた、荒川がトリノ五輪で見せた上体反らしはイナバウアーではない。通常のジャーマン・スープレックスの5倍の威力とのこと。
- 野人ハンマー
- 両手の指を組み、両腕を相手に叩きつける、ダブルアックスハンドルのこと。
- 一本足野人ハンマー
- 野球日本代表が第1回WBC優勝後に開発。チームの監督である、王貞治の打撃フォームに似せて一本足で野人ハンマーを放つ。
- マッケンロー
- 同名のテニス選手のフォームにヒントを得て開発した、膝裏への低空ラリアット。
- ラリアット
- ジャイアント・バーナードとの試合において、ロープに振った後、自らは違う方向に飛び走る経路を途中で曲げて腕を叩き付けるホーミング式ラリアットを見せた。
- クロスチョップ
- 両手を、手のひらを下にした状態で、胸の前でバツの字に重ねて、相手ののどを突く。
- ジャンピングニードロップ
- ダウンしている相手の頭部めがけて、助走をつけてからジャンピングニーを落とす。ブルーザー・ブロディを意識している。
- スピアー
- ブルドッキング・ヘッドロック
- マフラーホールド
- アルゼンチンバックブリーカーの要領で相手の足を肩に担ぎ極める技。中西がサブミッション系の技を持っていなかったために開発された技。
- ワシントン条約
- 中西と大森隆男の合体技。アックスボンバーとマッケンローを同時に繰り出す。NWAインターコンチネンタルタッグ奪取の決め手ともなった。2人の巨体から生み出されたこの合体技の破壊力は絶大である。
- 京都岐定書
- 中西と山本尚史の合体技。一本足野人ハンマーと水面蹴りを同時に繰り出す。技名はそれぞれの出身地から。
- ネックハンキングツリー
- ジャイアント・バーナードが中西を意識して、アルゼンチンバックブリーカーやヘラクレスカッターを真似た事に対抗したものと思われる。
- マムシの生殺し
- 2007年のG1用に開発した技である、キャメルクラッチから相手の首を強引に曲げる荒技。
- 大☆中西ジャーマン
- 中西が2008年1月4日に行われる東京ドーム大会でのアビス戦に向けて開発したジャーマンである。右手を天空にかざして技の発動を予告した後、相手の身体をロープに振って、その反動でジャーマンスープレックスを決める。さらにグロッキーになった相手を通常のジャーマンスープレックスでフォールする二段構えの荒技。
[編集] 野人アピール
中西は一部の技に行く前に特定のアピールをすることがある。ただし、それはずっとしているわけでなく、しばらくすると新しいアピールをしだす。
- 両手の肘から先を振る:スピアーに行く前に両手の肘から先を振り回す。相手が寝転がっているときや片膝状態の時に行う。
- 両手をばたつかせジャンプ:アルゼンチンバックブリーカーに行く前に、両手をばたつかせながらジャンプする。
- 片手を突き上げる:特定のわざと言うことはない。右手を突き上げ、「ホーッ!」と叫ぶ。
- 地団駄を踏む:ラリアットに行く前に地団駄を踏み、右手を振り回しながら左手で相手を誘うように動かす。
[編集] その他
- 大一番の前には対戦相手に「小細工はいらない」と言うことが多いが、中西本人は前述の通り新技開発を好む。
- WCWでクロサワを名乗っていた頃、試合中のアクシデントで対戦相手のホーク・ウォリアーの腕を折ってしまい、しばらく試合を干された事がある(もっとも、ホークはアクシデントと言う事で特に怒ってもいなかった上、『ホーク・ウォリアーの腕を折った男』という肩書きも出来たので、当時は結果的にはプラスになったと思われる)。
- メガネをかけてインテリギミックを使おうとしたことがあるが、すぐやめてしまった。
- ファンの間ではバカとして認知される事が多いが体育科の教員免許を持っており上述の通り元公務員でもある。
- 元夫人は、元プロ野球選手・近藤昭仁(元横浜ベイスターズ初代監督→元千葉ロッテマリーンズ監督→元読売ジャイアンツヘッドコーチ)の次女で元女優の近藤典子。そのため、中西は近藤の元娘婿にあたる。
- メジャー団体では数少ない関西弁で喋るレスラー(当時、メジャー団体では大相撲の慣例にならい方言禁止の風習があった)だったが、2002年にカール・ゴッチ宅を訪問してからはたどたどしい標準語を話すようになった(対照的に同じ第三世代の天山広吉は以前より関西弁を話す機会が増えた)。現在は元の関西弁に戻りつつあるようである。
- 2003年3月「中西政権が始まるぞ」と試合後コメントしたが、それ以降始まる様子は見られていない。これに関しては当時新日本の社長だった藤波も「中西は会社がプッシュしてあげようとした時にいつも波に乗れない」と雑誌のインタビューに答えている。
- 実家は京都では有名な茶農家で、インターネットのホームページもある。
- さんまのSUPERからくりTVのコーナーの一つである「熱血プロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」ではおぎやはぎ、駒田健吾アナとともに相談者の相談に乗っているが、結局は解決には至らず中西の珍発言に注目が集まっている。初めの主張とはまったく逆になっていることも少なくない。
- 上記のさんまのSUPERからくりTVの特番で、子供に勇気を与えるためと題して、705kgのキャンピングカーを50m引っ張るギネスブック記録に挑戦。持ち前の怪力をいかんなく発揮し、計測タイムはギネス記録を更新したが、実際は1秒程度遅れた可能性があり参考記録になる可能性がある。その前後のやりとりでは持ち前のキャラクターを発揮し茶の間に笑いをもたらした(成功した際、明石家さんまに「これから兄さんと呼ばせてもらいます、これからは明石家学と名乗ります」と言い、さんまにチョット引かれていた)。
- 専修大学時代、寮で洋物のアダルトビデオを見つつ「オーイェー!!」などと叫びながら何やらやっていたところを後輩で寮の同室だった秋山準に何度か目撃されている(ウケ狙いでわざとやってたという説もあり)。秋山は「僕を楽しませようとして気を使ってやってたんだろう」とフォローしつつも「それで僕が喜ぶと思うのもどうかと思うけど」と語っている。尚、お互いがプロになってから一度G1クライマックスで対戦しており、秋山が勝利している。
- 早くからG1優勝などの活躍があったが、第三世代の4人の中(永田、天山、小島、中西)で唯一IWGPヘビー級王座の所持経験が無い。
- 新日本プロレスのエンターテイメント系興行「WRESTLE LAND」ではそのキャラクターを余すところ無く発揮し、ファンに受け入れられている。後楽園ホールにて行われた「WRESTLE LAND 9th」では時間無制限1本勝負“権力の象徴”争奪3WAYラダーマッチ『棚橋弘至 vs TARU vs 中西学』に勝利し、ナカニシ・ランド開催の権利を得た。なお、権力の象徴とは、天井から吊るされた白の捻りハチマキ。
- 2007年、新垣結衣主演映画恋するマドリにレスラー役として出演する。
- 2007年5月、「美味紳助」(テレビ朝日)で、健啖家と見られる4人の「ある一日のカロリー摂取量」を栄養士同伴で徹底調査するという企画に、フードレポーターの彦麻呂、女子シンクロナイズドスイミング日本代表の原田早穂、大食いタレントの三宅智子らと共に出演。「競争」ではなく、栄養士がいるという以外は極めて普通の日常状態の食事での測定であったが、当初「レスラーは意外と食わんよ」と言っていた島田紳助の予想を覆す約8,500kカロリーを摂取。しかし1位の三宅が約8,600kカロリーとなり、中西は僅差の2位であった。
- 2007年7月、週刊プロレスの記事によると、身体から脂肪を省いた除脂肪量が99.5kgであり、いまだ筋肉を増やし続けている。
- 最近はワールドプロレスリングの実況で「ゴリラ」と呼ばれだしている。
- 新日本プロレスの選手では、蝶野正洋に次いでメディア出演が多い。蝶野が教養番組等に出ているのに対し、中西は天然ボケキャラとして、出演のほとんどがバラエティ番組である。
- 趣味はデビュー時から、現在に至るまで食べ歩き。ちなみに、好物は毎年変わっている(週刊プロレス選手名鑑より)
- 現在は、横浜市鶴見区に在住。その縁から一日名誉区長も勤めた。
[編集] 獲得タイトル
- 1989年 レスリング 全日本選手権 フリースタイル 100kg級 優勝
- 1990年 レスリング 全日本選手権 フリースタイル 100kg級 優勝
- 1991年 レスリング 全日本選手権 フリースタイル 100kg級 優勝
- 1992年 レスリング 全日本選手権 フリースタイル 100kg級 優勝











/
/ 

























