山口県
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山口県(やまぐちけん、英語表記:Yamaguchi Prefecture)は、日本の県の一つで、本州最西端に位置する県。中国地方を構成する5県のうちの1つで、九州地方との連接点の地域である。
目次 |
[編集] 概要
中国地方を構成する県(中国五県)の一つで、県土の大半は山陽地方に含まれ、北部の萩市・長門市が山陰地方の西端に当たるとされる。県庁所在地は県央部の山口市であるが、下関市・宇部市・周南市など経済規模で山口市をしのぐ都市が点在する(詳細は後述)。県西部を中心に経済面などで北九州地区とのつながりも深い。県東部は広島県地域とのつながりが密接である。
令制国の長門国と周防国に相当するので、防長(ぼうちょう)という別名を持つ。周防国と長門国は後に毛利氏によって統治され、江戸時代にはあわせて長州藩と称していたことから、長州(ちょうしゅう)と呼ばれることもある。
県魚に指定されている下関市のフグは日本一の市場取扱量を占める。地元や周辺地域では、主に取扱業者やマスコミなどが縁起を担いでフグとは呼ばず「フク」と呼ぶ(フグが「不遇」につながり、フクが「福」につながる為とされている)が、日常会話で「フク」ということは少ない。
山口県では日常的に山口方言が使用されている。
[編集] 地理
東側を除く三方を海に囲まれ、その中央部を中国山地が横断している。中国山地に水源を発する河川がいくつか存在するが、河口付近を除けば海沿いに平地は多くなく(特に日本海側)、内陸部の川沿いを中心に盆地が点在する。
- 周辺海域
- 主な河川
[編集] 気候
全体的には、太平洋側気候だが、日本海側から内陸部にかけては日本海側気候で、冬には曇りの日が多く、雪も見られる。特に内陸部の阿東町、萩市内陸部、周南市や岩国市のそれぞれ北部などは、県内でも積雪がみられる地域である。北部は日本海に面しており、波が高く、海がしける事も少なくない。
瀬戸内海側は瀬戸内海式気候で、一年を通して雨が少なく、比較的温暖な気候である。冬でも中国山地に季節風が抑えられるので、日本海側と比べて曇りの日は少なく、晴れる日も多い。積雪も一冬に数回程度である。日本海側に対し、内海の瀬戸内海側では波は穏やかである。
関門海峡周辺の下関市、山陽小野田市、宇部市などでは日本海側気候と瀬戸内海式気候との境界にあたり、二面性を持つ気候である。冬は周防灘側でも曇りがちの天気になりやすく、時雨や雪を降らせる事もある。しかし、周防灘は穏やかで荒れる事は少ない。
上記のように、同じ県内でも地域ごとの気象傾向に差があることもあり、天気予報を発表する際の一次細分区域は「西部」「中部」「東部」「北部」の4つに設定されている。2003年3月3日には気象に関する注警報・警報発表区域の細分化(二次細分区域の設定)が行われ、県内が7区域「西部」(豊田/下関・宇部)、「中部」(山口・防府/周南・北玖珂)、「東部」、「北部」(長門/萩・美祢)に細分化された。2007年3月1日には市町村合併を反映する形で二次細分区域が再編され、二次細分区域が8区域に再設定されている。
- 現行の気象区分(2007年3月1日現在、カッコ内は二次細分区域)
- 山口県西部(下関/宇部・山陽小野田)
- 山口県中部(山口・防府/周南・下松)
- 山口県東部(岩国/柳井・光)
- 山口県北部(長門/萩・美祢)
[編集] 自然公園
[編集] 歴史
[編集] 県名の由来
[編集] 原始・古代
- 古くは大陸文化の窓口として栄え、綾羅木郷遺跡や土井ヶ浜遺跡などの弥生遺跡が多数残る。
- 現在の長門市油谷に世界三大美女のうちの一人といわれる楊貴妃が流れ着いたといわれる。
- 飛鳥時代には、百済復興戦争の敗戦により、国防最前線として朝鮮式の山城が築かれた。
- 奈良時代以降は、長門・周防の2国が設置され国府は、長門が下関市長府、周防が防府市におかれた。日本唯一の鋳銭所が最初は下関市、のちに山口市に置かれていた地域で、奈良時代から平安時代初期の貨幣が鋳造された。今も山口市には鋳銭司(すぜんじ)という地名や学校名(山口市立鋳銭司小学校)がある。
- 平安時代末期には源平合戦(治承・寿永の乱)の最終決戦地となり、1185年の壇ノ浦の戦いで平家(伊勢平氏)が滅亡。その内乱の際に焼失した奈良の東大寺を復興するため、重源の指導のもとで周防が東大寺料国となった。
[編集] 中世
- 鎌倉時代には、元寇の危機への最前線司令部として長門探題が設置された。
- 南北朝時代には、周防の大内氏と長門の厚東氏が防長の覇を競ったが、ほどなく大内氏が勝利した。
- 室町時代、大内氏の首都山口は日本最大規模の4万人都市として盛え、「西京」(さいきょう;Western Kyoto)の異名を獲った。雪舟、フランシスコ・ザビエル・連歌師宗祇などが訪れ、足跡を残した。
- 戦国時代(室町時代後期)でも大内氏が周防・長門両国を支配したが、1555年から1557年にかけて安芸国から侵攻した毛利元就が行った防長経略により、両国は毛利氏の領国となった。
[編集] 近世
- 1600年の関ヶ原の合戦では、中国地方全域を支配していた毛利氏は西軍に参加。毛利輝元が総大将となったが、毛利勢は一族の吉川広家が徳川家康に内通したため戦闘に参加せず。西軍の敗戦後は吉川広家の取り成しで毛利家は改易を免れ、減封されて防長2州を領有。以後、幕末まで毛利氏の支配する土地となる。
- 1838年 - 藩主毛利敬親に登用された村田清風による藩政改革が開始される。
- 1863年、毛利敬親が山口に新たな藩庁を築いて移住。以後、長州藩(萩藩)は「山口藩」と称される。
- 1863年-1864年 - 下関戦争(馬関戦争)。外国船に発砲し、4国の連合軍による報復攻撃で馬関砲台などが一方的に壊滅状態となる。以後、藩の大勢は攘夷から開国路線に転じる。
- 1864年-1865年 2度にわたる江戸幕府の長州征伐。藩内部の権力闘争が続いていたが、第二次長州征伐では奇兵隊を率いた高杉晋作らの活躍で幕府軍を撃退。以後、尊皇倒幕で藩論を集約し、明治維新の原動力としてその名を残す。
[編集] 近・現代
- 1871年 - 旧暦6月に長州藩(周防山口藩)が徳山藩を併合、旧暦7月には廃藩置県により(周防)山口藩・岩国藩・長府藩・清末藩を廃し、山口県・岩国県・豊浦県・清末県の4県が置かれる。旧暦11月に4県が合併し山口県となる。
- 1876年(明治9年) - 前原一誠らによる萩の乱が起こる。
- 1885年(明治18年) - 内閣制発足に伴い、山口県出身の伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。以後、山口県からは多くの内閣総理大臣を輩出する(後述)。
- 1889年(明治22年) - 4月に市制・町村制施行。1市(赤間関市=あかまがせき;現在の下関市)4町(柳井津町=やないつ;現・柳井市、山口町=現・山口市、萩町=現・萩市、岩国町=現・岩国市)と224村の計229市町村となる。
- 1901年(明治34年) - 山陽鉄道により神戸 - 馬関(現在の下関間)の鉄道が全通(現在の山陽本線)。
- 1905年(明治38年) - 山陽汽船が関釜連絡船の運行を開始。以後、下関は日本と大陸(朝鮮半島)を結ぶ重要な交通拠点となる。
- 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争勃発。戦争末期には山陽側の各都市が軒並み空襲を受ける。
- 1942年(昭和17年) - 関門鉄道トンネル開通。初めて九州と陸路で結ばれる。
- 1949年(昭和24年) - 県内初の新制大学、国立山口大学が開校。
- 1955年(昭和30年) - 秋吉台や秋芳洞が秋吉台国定公園として国定公園に指定。
- 1963年(昭和38年) - 第18回国民体育大会開催。
- 1966年(昭和41年) - 宇部空港(現・山口宇部空港)開港。
- 1973年(昭和48年)11月14日 - 関門橋および中国自動車道(小月IC~下関IC間)が開通(県内初の高速道路)。
- 1975年(昭和50年)3月10日 - 山陽新幹線(岡山 - 博多間)が開業。
- 1983年(昭和58年)3月24日 - 千代田IC(広島県)~鹿野IC間開通を最後に中国自動車道が全線開通。
- 1983年(昭和58年) - 第7回全国高等学校総合文化祭開催。
- 1986年(昭和61年) - 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)を山口県を主会場として開催。
- 1987年(昭和62年)12月4日 - 山陽自動車道防府東IC~山口JCT間が開通(山陽自動車道県内初の開通区間)。
- 1992年(平成4年)6月25日 - 山陽自動車道岩国IC~熊毛IC間開通により、本線の山口県区間が全通。
- 2001年(平成13年)3月11日 - 山陽自動車道宇部下関線宇部JCT~下関JCT間が開通。
- 2001年(平成13年) - 山口きらら博開催(7月14日~9月30日)。
- 2006年(平成18年) - 国民文化祭・やまぐち2006開催(11月3日~11月12日)。
- 2011年(平成23年) - 第66回国民体育大会(おいでませ!山口国体)開催予定。
[編集] 山口県と政治家
山口県は旧長州藩の版図が大半であるためか、「大臣、大将を目指せ」という教育を施すような風土を持ち、保守・革新を問わず政治色が強い土地柄となっている。なお、山口県では自由民主党に代表される保守系勢力が強い支持を集めている。
戦後においては、首相経験者では岸信介・佐藤栄作兄弟と安倍晋三、自民党総裁選出馬経験者では安倍晋太郎(元外務大臣で安倍晋三の実父)、林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、閣僚経験者では田中龍夫(初代山口県知事、元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣で佐藤栄作次男)、河村建夫(元文部科学大臣、現内閣官房長官)、吹田愰(元自治大臣)、菅直人(元厚生大臣、元民主党代表)、そのほか重宗雄三(元参議院議長)、徳永正利(元参議院議長)、野坂参三(元日本共産党議長)、宮本顕治(元日本共産党議長)など、有力政治家を多く輩出している。これが山口県が「政治県」であるといわれる所以でもある。
大日本帝国憲法と日本国憲法の両方の時代を通じて最も多くの首相(8人)を輩出した県である。
[編集] 人口
[編集] 年齢構成
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
| 年齢 | 人口 |
|---|---|
| 0 - 4歳 | |
| 5 - 9 | |
| 10 - 14 | |
| 15 - 19 | |
| 20 - 24 | |
| 25 - 29 | |
| 30 - 34 | |
| 35 - 39 | |
| 40 - 44 | |
| 45 - 49 | |
| 50 - 54 | |
| 55 - 59 | |
| 60 - 64 | |
| 65 - 69 | |
| 70 - 74 | |
| 75 - 79 | |
| 80歳以上 |
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
- データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)
| 山口県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 山口県の年齢・男女別人口分布図 | ||||||||||||||||||
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■紫色は山口県
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
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| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |||||||||||||||||||
[編集] 行政
[編集] 歴代知事(公選)
詳細は山口県知事一覧を参照
- 初代 田中龍夫(1947年4月5日~1953年3月24日、2期)
- 2代 小澤太郎(1953年4月30日~1960年8月17日、2期)
- 3代 橋本正之(1960年9月25日~1976年6月30日、4期)
- 4代 平井龍(1976年8月22日~1996年8月21日、5期)
- 5代 二井関成(1996年8月22日~、4期目)
[編集] 財政
[編集] 平成18年度
- 標準財政規模 3486億3900万円
- 一般会計歳入 7470億8700万円
- 一般会計歳出 7386億5800万円
- 財政力指数 0.40885 ( 都道府県平均 0.46 )
- 財政力指数0.4~0.5のⅡグループ(9自治体)に分類されている
- 経常収支比率 92.5% ( 都道府県平均 92.6 )
- 実質収支比率 1.0
- 人口一人当たり人件費・物件費 14万5634円 ( 都道府県平均 12万4759円 )
- 実質公債費比率 12.6% ( 都道府県平均 14.7% )
- 人口100,000人当たり職員数 1,384.32人 ( 都道府県平均 1,173.11人 )
- 平成17年度から平成22年度までの5年間で1,164人(5.3%減)の削減を目標としている
- ラスパイレス指数 99.3 ( 都道府県平均 99.6 )
地方債残高
- 普通会計分の地方債現在高 1兆1295億7100万円
- 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 576億7900万円
- 第3セクター等債務保証残高
- 山口県土地開発公社 338億5300万円
- やまぐち農林振興公社 203億8900万円
[編集] 平成17年度
- 財政力指数:0.37(平成17年度)
[編集] 議会
- 党派別議員(2007年4月8日改選・定数49人)
- 自由民主党(29人)
- 柳居俊学、吉井利行、伊藤博、石崎幸亮、吉田和幸、塩満久雄、林哲也、有福精一郎、友田有、岡村精二、二木健治、重宗紀彦、藤生通陽、松永卓(副議長)、末貞伴治郎、新谷和彦、田中文夫、島田明(議長)、守田宗治、山手卓男、畑原基成、河野亨、大西倉雄、長谷川忠男、森中克彦、河村敏夫、藤井律子、友広巌、竹本貞夫
- 加藤寿彦、西嶋裕作、木村康夫、吉敷晶彦、秋野哲範、今倉一勝
- 公明党(4人)
- 先城憲尚、小泉利治、石丸典子、上岡康彦
- 日本共産党(3人)
- 水野純次、藤本一規、久米慶典
- 県政クラブ(3人)
- 国井益雄、槙本利光、新藤精二
- 新政クラブ(2人)
- 久保田后子、合志栄一
- 社会民主党(1人)
- 佐々木明美
- 無所属の会(1人)
- 渋谷正
[編集] 経済
[編集] 産業
山陽地方に当たる瀬戸内海側は、重化学コンビナートを中心とした工業と、高速道路網などを生かした流通業などが発展しており、瀬戸内工業地域の一角を成す。一方で、山陰地方に当たる日本海側は、農業・漁業などの第一次産業と観光業などのサービス産業が中心である。
かつては宇部・美祢で鉱業が盛んであり、宇部炭鉱 (宇部市) や大嶺炭鉱 (美祢市) で無煙炭を中心とした石炭が採掘されていた。いずれも現在は閉山しているが、県西部 (宇部・山陽小野田など) の重化学工業地域は元々この炭鉱を背景としている。現在美祢地区では石炭に代わって石灰石の採掘が行われており、セメントの製造企業が集中している。一方、周南・岩国などの東部では太平洋戦争当時の海軍燃料廠などに由来する石油精製コンビナートを展開、ソーダなど化学系の製品製造を主とする工業地域を形成している。
経済圏はほぼ三極化しており、西部では下関市、県央部では山口市 (特に旧小郡町) 、東部では周南市 (特に旧徳山市) がそれぞれ地域の中心都市としてある程度の集積がなされている。山口県全体でみると、多くの金融機関が拠点を置く下関市での集積が顕著であり、地方金融グループである山口フィナンシャルグループ (傘下に山口銀行ともみじ銀行)、山口県中西部と島根県の一部を営業エリアとする西中国信用金庫 (下関、











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