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広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日 - )は、日本の官僚、のち政治家に転じ大分県知事。最後の通商産業事務次官であり、中央省庁再編後には初代の経済産業事務次官をつとめた。
[編集] 来歴・人物
大分県日田市出身。祖先は広瀬久兵衛(広瀬淡窓の弟)。父は日田市長・郵政大臣を務めた広瀬正雄、兄弟に富士紡績の社長を務めた広瀬貞雄、テレビ朝日の会長である広瀬道貞、興銀証券常務の広瀬興貞がいる。
通産省時代は、薄井信明(のち大蔵事務次官)と共に消費税導入に力を発揮し次官候補に台頭、第1次橋本内閣時代に同期の林康夫(中小企業庁長官、日比谷高出身)との次官レースに最後まで残り、一期先輩の江崎格(産業政策局長、戸山高出身)を制して事務次官に就任した。前任の渡辺修の任期が延びたことも要因だが、次官就任は時の橋本龍太郎首相が麻布高校の同窓生であったことが大きかった。熊谷弘(当時通産大臣)の「政治介入」により、内藤正久が産政局長から事務次官の椅子に座れなかった例もあったが、江崎との件も同時期の類似の事例として注目された(但し、産業政策局長から次官未就任の例として他に、宮本四郎、山本幸助、さらに近年では林良造、鈴木隆史らがいる)。
通産省において平松守彦の後輩にあたることなどから、経産事務次官を退官後、平松の後継候補に擬される。2003年4月の大分県知事選挙には各界の支援・推薦を得て当選を確実視されていたが、結果的に当選は果たしたものの、無党派候補を標榜する対立候補の吉良州司に苦戦を強いられた。2007年4月の大分県知事選では政党の支援を受けずに再選を果たした。
[編集] 経歴
[編集] 知事としての事績
- 就任早々の2003年4月、太平洋新国土軸豊予海峡ルートの事実上の凍結を打ち出す[1]。
- 平松県政末期において大規模施設の開発によって財政支出が増大し、県財政が危機的状況にあった。このことに対する危機感から行財政改革プランを立案し、歳出の緊縮(「選択と集中」と称する)・行政組織の統廃合・大型施設の整理・県税徴収の強化を打ち出している[2]。
- 2004年、産業廃棄物税(法定外目的税)条例を可決し、2005年4月より施行。九州各県と協議の上、ほぼ同時の導入となった。
- 2005年2月の全国知事会会長選挙においては、福岡県知事である麻生渡の擁立を計った中心人物と目された。麻生は、広瀬同様に通商産業省出身である。
- 2005年2月に森林環境税(実際は道府県民税均等割部分の超過課税)の導入を県議会に呈示し、可決された。2006年4月より実際に施行される。
- 行財政改革プランの一環として、大分香りの森博物館を休館しその利用方法を検討した結果、2005年9月に学校法人平松学園に約2億円で払い下げる方針を決定した。このことについて、博物館の事業費用に約44億円がかけられたことに比して払い下げ代金が安いこと、平松学園が平松守彦縁故の人物によって運営されていることなどから、物議を醸している。
- 2007年7月14日~16日に行われた読売新聞の調査によると、支持率は78.0%で、宮崎県知事の東国原英夫に次ぐ全国2位となった[3]。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
広瀬勝貞ホームページ