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新日本プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新日本プロレスリング株式会社
New Japan Pro-Wrestling
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 新日本、新日、NJPW
本社所在地 〒153-0042
東京都目黒区青葉台4丁目4番5号 8F
電話番号 03-6407-3111
設立 1972年1月
業種 その他の興行団
代表者 菅林直樹(代表取締役社長)
資本金 7,500万円
従業員数 38人
主要株主 ユークス 51.5%
関係する人物 アントニオ猪木
坂口征二
新間寿
サイモン・ケリー猪木
外部リンク http://www.njpw.co.jp/
  

新日本プロレス(しんにほんぷろれす)は、日本プロレス興行団体。略して新日本、新日(しんにち)とも呼ばれる。「KING of SPORTS」を標榜している。1972年1月、日本プロレス選手会を除名されたアントニオ猪木が設立。同年9月に設立されたジャイアント馬場率いる全日本プロレスと、男子プロレス界の二大老舗団体として君臨。「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。2005年11月14日、ユークスが株式の過半数取得を発表、同社の子会社となる。

目次

[編集] 歴史

[編集] 1970年代

1972年
1973年
1974年
1975年
  • NWAに加盟。しかし全日本プロレスの圧力で、団体(テリトリー)としてではなく坂口征二新間寿の個人加盟とされたのに加え、「NWAのヘビー級王者は新日本プロレスに参加しない」という屈辱的な形であった。ほぼ同時期にWWWF(現:WWE)とも提携を開始。
1976年
1979年
1980年

[編集] 1980年代

1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
  • IWGPヘビー級王座設立。初代王者はアントニオ猪木。
  • 長州力ら元ジャパンプロレス勢が新日本復帰。
  • 10月4日、アントニオ猪木とマサ斎藤巌流島で2時間にも及ぶ決闘を行う。
  • 11月19日、前田日明、後楽園ホールで行われた6人タッグ戦で長州力の顔面を蹴り欠場に追い込む(前田顔面蹴撃事件)。これを受けて新日本は前田を無期限出場停止処分とする。
  • 12月27日両国国技館興行でたけしプロレス軍団が登場。当初開催予定だったメインイベントのアントニオ猪木対長州力戦を中止し猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。カード変更に加えて猪木がベイダーに3分弱で敗れるという試合結果(当初…藤波・木村vsマサ斎藤・ベイダー、猪木vs長州。1回目のカード変更…藤波・木村vsマサ斎藤・長州、猪木vsベイダー。これで藤波・木村vsマサ斎藤・長州が行われる。2回目のカード変更…残り猪木vsベイダーの前に、猪木vs長州。従って、猪木(、長州)は2試合戦った。)に観客席からリングにゴミが投げ込まれるなど暴動騒ぎに発展。新日本は両国国技館の使用を禁止される(翌々年に解除)。
1988年
1989年

[編集] 1990年代

1990年
  • 4月13日、新日本、全日本、WWFによる合同興行「日米レスリングサミット」を開催。全日本とWWFが対抗戦を行う中、新日本は所属・レギュラー参戦選手同士によるカード提供に留める。
  • WCWと提携開始。
1991年
1992年
  • この年から、1月4日に東京ドーム興行が行われ、外野から長い花道が設けられて選手が入場するようになる。
  • 越中詩郎、選手会に無断で誠心会館の自主興行に参戦し選手会と対立、木村健悟らと反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成。
1993年
  • 5月3日、初の福岡ドーム興業開催。
1994年
1995年
1996年
  • 1月4日、東京ドーム興行で高田延彦がIWGPヘビー級王者になり、初めて他団体に流失。この年だけ、バックネットから花道が設けられる。
  • 蝶野正洋、WCW参戦中にハルク・ホーガン率いるnWoに加入。帰国後、その日本支部としてnWoジャパンを結成。
1997年
1998年
1999年
  • 1月4日、東京ドーム興行でUFO対新日の対抗戦が行われ、小川-橋本戦が無効試合となる。また、試合後に大乱闘となる。
  • 平成維震軍が解散。
  • 長期欠場から復帰した蝶野正洋が欠場の間にnWoを掌握した武藤敬司と対立、TEAM 2000を結成。
  • 4月10日、東京ドーム興行で蝶野正洋対大仁田厚戦が団体としては初となるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ形式で行われる。(ただし団体側は公式試合としてこれを認めず「第0試合」としている)
  • 6月24日、藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前社長の坂口征二は代表取締役会長に就任する。

[編集] 2000年代

2000年
  • WCWの経営悪化に伴い提携解消。
  • 1月4日、東京ドーム興行でTEAM2000・蝶野正洋とnWoジャパン・武藤敬司が直接対決。蝶野が勝利し、nWoは消滅。
  • 4月10日、東京ドーム興行で橋本真也が引退を賭けて小川直也と対決するも敗れ、公約通り引退。
  • 4月14日気仙沼市総合体育館興行における福田雅一柴田勝頼戦の試合中に福田が意識不明となり緊急入院。4月19日に永眠。試合中の事故による死亡は日本の男子プロレスでは史上初。
  • 7月30日横浜アリーナ興行で長州力が現役復帰。大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。
  • 8月11日、両国国技館興行に当時、大量離脱で存亡の危機に晒されていた全日本プロレスの渕正信が来場。新日本対全日本の対抗戦が開戦し、長らく対立関係にあった両団体の歴史的交流が開始する。
  • 10月9日、テレビ番組の企画でファンに押される形で現役復帰した橋本真也が藤波辰爾と復帰戦を行う。その後、「新日本プロレスリングZERO」を設立し他団体交流などを目的とした団体内の別組織として独立を宣言するが、反対した現場監督・長州力と対立。
  • 11月13日、橋本真也の解雇を発表。
2001年
2002年
2003年
  • 棚橋弘至の提案によりIWGP・U-30無差別級王座設立。初代王者は棚橋弘至。
  • 5月2日、東京ドーム興行で新日本独自ルールの「アルティメット・クラッシュ」形式による総合格闘技戦が開催される。
  • 坂口征二CEOと高山善廣との間に遺恨が生じ、坂口が限定復帰。10月13日の東京ドーム興行における真猪木軍とのイリミネーションマッチでは次男で俳優の坂口憲二がセコンドにつく。
2004年
  • 1月4日、東京ドーム興行でIWGPヘビー級王座、NWFヘビー級王座の統一戦が行われ、IWGP王者の中邑真輔がNWF王者・高山善廣を下しNWF王座を封印。
  • 6月、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に就任。前社長の藤波辰爾は代表取締役副会長に就任。
  • 7月、獣神サンダー・ライガーが、邪道外道竹村豪氏らとヒールチーム「C.T.U」を結成。
  • 10月9日、両国国技館興行に長州力が登場。新日本対リキプロの抗争が始まる。
2005年
  • 上井文彦取締役が新日本を退団。その後、同じく退団した柴田勝頼らとビッグマウスを設立。
  • 2月20日天山広吉対小島聡による史上初のIWGPヘビー級王座、三冠ヘビー級王座ダブルタイトルマッチが行われ、三冠王者の小島が勝利。
  • 永田裕志、中西学、ケンドー・カシン、藤田和之が山本小鉄を顧問にアマレス軍団チーム・ジャパンを結成。
  • 第1回NEW JAPAN CUP開催。優勝は棚橋弘至。
  • 5月、草間政一が代表取締役社長を解任され、後任としてアントニオ猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が就任。
  • 10月8日、東京ドーム興行に元WWE王者のブロック・レスナーが参戦。蝶野正洋、藤田和之との3ウェイ戦を制しIWGPヘビー級王座を獲得。
  • 同日、長州力がリキプロに在籍したまま新日本の現場監督に復帰。
  • 11月14日ユークスがアントニオ猪木から全株式の51.5%に相当する株を購入し、新日本プロレスを子会社化したことを発表。
2006年
  • 1月4日、東京ドーム興行を開催。ビッグマウス、ZERO1-MAXなど他団体の選手が多数参戦するが、長州力がこれを「新日本対インディー」とコンセプトづけたため、村上和成、上井文彦らから批判を浴びる。
  • 1月、西村修田中秀和リングアナウンサーら団体史上最多の11人の選手・スタッフが契約を更改せず退団。その後も木村健悟、藤波辰爾など退団者が続出。
  • 3月、新日本とは別ブランドとなる興行LOCK UPWRESTLE LANDの開催を発表。
  • 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」で来日を拒否、これを受けて新日本はレスナーの持つIWGPヘビー級王座を剥奪。しかしレスナーがベルトを返還しなかったために、以降しばらく新日本では2代目IWGPベルトを使用。
  • 10月、天山広吉がG・B・Hを結成。
2007年
2008年
  • 1月4日“レッスルキングダム II in 東京ドーム”を開催。
  • 2月17日中邑真輔カート・アングルを破りIWGP王座防衛とともに3代目IWGPベルトを奪取して王座を統一。その後、4代目IWGPベルトを使用。
  • 4月27日、武藤敬司が8年4ヶ月ぶりにIWGP王者になり、全日本プロレスに2度目の流出。
  • 8月17日、G1 CLIMAX 2008で後藤洋央紀が初出場で初優勝。

[編集] 他団体との関係

全日本プロレス
アントニオ猪木、ジャイアント馬場の時代は両団体はライバル団体として長らく反目し合ってきた。両団体の初交流は1979年、東京スポーツ主催のプロレス夢のオールスター戦BI砲が一夜限りの再結成を果たした。しかし両者の対立はその後も変わらず、1980年代前半には外国人選手の引き抜き合戦を行い、スタン・ハンセンアブドーラ・ザ・ブッチャータイガー・ジェット・シンブルーザー・ブロディらが両団体を行き来した。坂口征二体制発足後の1990年、東京ドーム興行のメインイベンターを飾る予定であった当時のNWA世界ヘビー級王者・リック・フレアーが来日をキャンセル、興行の目玉を失った坂口は自らの足で全日本に赴き、選手を貸し出してくれるよう馬場に直談判。馬場も「坂口なら信頼できる」と快諾し、ジャンボ鶴田天龍源一郎谷津嘉章2代目タイガーマスク、ハンセンの5選手がドーム興行に参戦した。その後の交流は馬場が死去するまでついになかったが、2000年に三沢光晴らが大量離脱した事によって全日本は崩壊の危機に晒される。これを打開すべく渕正信が単身で新日本に赴き、両団体の対抗戦が開戦。渕のほか、川田利明太陽ケアらが参戦し、川田と佐々木健介の抗争を中心に対抗戦が展開する。2001年に武藤敬司が天龍を破り、新日本の選手として初めて三冠ヘビー級王座を獲得。しかし当時の新日本の格闘技路線に嫌悪感を抱いた武藤は小島聡、ケンドー・カシン、5人のフロントスタッフと共に2002年に全日本に移籍。これにより両団体の交流は凍結される。しかし蝶野正洋と武藤の関係は継続しており、2003年に小島が新日本に参戦してからは単発的ながら交流は行われている。2007年には新日本の親会社であるユークスが発売するゲームソフト、レッスルキングダムの名を冠した東京ドーム興行レッスルキングダム (プロレス興行)が行われ、全日本が全面協力した。2008年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会「レッスルキングダム2」にはグレート・ムタが参戦、4月27日は武藤が中邑を破って8年4ヶ月ぶりにIWGP王者になり、全日本プロレスに2度目の流出。また、小島聡が天山広吉との「天コジ」タッグで、2001年以来7年ぶりにG1タッグリーグ戦優勝を果たし、その後、2006年に続いて2年ぶりに世界最強タッグ決定リーグ戦優勝。両団体のタッグリーグ戦を同年でダブル優勝を果たしたのは、初めてである。
プロレスリング・ノア
2001年のZERO-ONE旗揚げ戦で永田裕志が橋本真也と組み、三沢&秋山準組と対戦した事が両団体の初交流である。これを契機に秋山と永田の間に友情が生まれ、同年10月8日の東京ドーム興行における「プロレス50周年スペシャルマッチ」で初タッグを結成し、武藤&馳浩組と対戦。2002年には獣神サンダー・ライガーが田中稔と共にノアマットに赴き、丸藤正道の「ノアのジュニアは最強です」という発言を契機にジュニアヘビー級の対抗戦が開戦する。同年5月の東京ドーム興行には蝶野対三沢戦が行われる。この試合以降、蝶野と三沢の関係が良好であった事からタイトルマッチも含めた本格的な交流が2004年7月10日のノア東京ドーム大会まで続く。その後交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢光晴が参戦し約10ヶ月ぶりの交流が実現。そのバーターとして棚橋弘至が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年にノアはサイモン・ケリー猪木社長がテレビ朝日と日本テレビとの間で取り決められていたバーター契約を一方的に白紙化した(後にノア仲田龍がこの契約の存在を否定)とし、絶縁を宣言する。この煽りを受けて新日本の親会社であるユークスはノアに関する版権を借りられなくなり、「レッスルキングダム」に登場していたノアの選手は次回作の「レッスルキングダムII」は登場していない。その後、2008年8月26日に行われた、レッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行(新日本プロレス主催)において、仲田、三沢両名がお祝いVTRで登場し、興行後の海野氏の会見で(NOAH側のスケジュールの都合で断念したが)NOAH勢の参戦も予定されていた(常連の青柳政司は出場している)事が明かされており、再び両団体の関係が復活する可能性も僅かながら出てきてはいる。2008年9月6日日本武道館大会の会場を裕次郎と内藤哲也のNO LIMITが視察。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し、2008年9月14日のノアのディファ有明大会のダークマッチに出場し勝利を収め、9月27日にタイトルに挑戦し敗北。2009年1月4日東京ドーム大会の呼びかけに対し三沢、杉浦、秋山の3選手の出場が決定した。
ZERO1-MAX(旧・プロレスリングZERO-ONE
旧・ZERO-ONE時代は橋本真也が独立を画策するも現場監督である長州と対立し頓挫・解雇を経て設立、という経緯もあって対立関係にあった。しかし2001年の旗揚げ戦では永田裕志が橋本のパートナーとして派遣され、これを機にノアとのパイプが生まれるなど4大団体交流時代の橋渡しとしての役割を果たした。断続的な交流はなかったものの同年には新日本で橋本・長州の遺恨決着戦が行われ、2002年にはアントニオ猪木の意向で橋本・小川組(OH砲)が東京ドームにおける30周年記念興業に参戦した。以降、ZERO-ONEは全日本、ノアとの交流にシフトしたために表立った交流は凍結。ZERO1 MAXと体制変更してからもしばらくは交流はなかったが、2005年に長州が現場監督として復帰し、翌2006年の東京ドーム大会から本格的に交流を開始、中西学・大森隆男、山本尚文・崔領二金本浩二田中将斗といった抗争が生まれている。またLOCK-UP、Premiumといった新日本の別ブランド興業にも多くの選手が参戦している。
みちのくプロレス
現存する団体では最も古くから交流が続いている団体で、旗揚げ直後からライガーとザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。テリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)が学生プロレス出身であったために、学生プロレスを嫌う風潮にあった新日本の選手から疎外され袋叩きにされる事態があったが、後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにし大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫び、わだかまりは解けている。90年代にはサスケが初代ジュニア8冠王者に戴冠、スペル・デルフィンが第1回ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアで準優勝するなどジュニア黄金期の一翼を担った他、ヘビー級でもグレート・ムタ白使戦といった試合が実現している。2002年に4代目タイガーマスクがみちのく所属ながら1年間新日本のシリーズに帯同し、2003年に円満移籍。その後も互いのビッグマッチには選手の派遣を度々行っている。
DRAGON GATE
闘龍門JAPAN時代にみちのくプロレス主催のSUPER J-CUP決勝でCIMAがライガーを相手に健闘し、その将来性を高く買われる。CRAZY-MAXが新日本に一度参戦するが、その後は団体の方針から長らく交流は行われていなかった。2006年にDRAGON GATEが開国宣言を行い、ライガーが参戦。2007年の東京ドーム興行にはDRAGON GATE離脱組であるVOODOO-MURDERSミラノコレクションA.T.が参戦する関係からか参戦しなかったが、後日の後楽園ホール興行では望月成晃&ドン・フジイ邪道&外道とIJタッグ王座を賭けて対戦。同年にはライガーがフジイからオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取するが、DRAGON GATE・神戸ワールド記念ホール興行でCIMAに奪還されている。

[編集] タイトルホルダー

新日本プロレスが管轄するチャンピオンベルトの保持者(2009年1月4日現在)

[編集] 全所属選手+主要参戦選手

正規軍(ユニット無所属)
ジュニア正規軍
レジェンド
RISE
G・B・H

[編集] NEW JAPAN FACTORY(総合格闘技部門)

[編集] レフェリー

インターナショナル・コーディネーター

[編集] リングアナウンサー

[編集] 歴代社長

[編集] 引退・退団選手

括弧内は在籍期間と現在の所属団体および活動状況。

一部を除き50音順

※退団後もフリーランスとして継続参戦

[編集] スタッフ

[編集] 故人

[編集] マスコットキャラクター

[編集] テーマ曲

試合開始直前と試合終了後に会場に流される。後述のテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある。

[編集] 試合中継

テレビ朝日系列を始め、複数の局で放送している。また、インターネットでの試合配信も行っている。

  • ワールドプロレスリング(テレビ朝日)
  • 闘魂スーパーバトル(BS朝日)
  • ワールドプロレスリング 不滅の闘魂伝説(Sky・A)
  • 新日本プロレスS.X.W(J Sports)
  • 新日本プロレス中継(Fighting TV サムライ)

[編集] 1990年代以降の主なマット広告スポンサー

同社は日本のプロレス団体として、格闘技団体としても先駆けてスポンサーを多数付け、その収入で賄う方法をとっていた。

その他

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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