旅客機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旅客機(りょかくき、りょかっき)とは、主に旅客を輸送するために製作された民間用飛行機(民間機)のこと[1]。個人所有の小型機や企業が使用するビジネスジェットなどは含まない。貨物の輸送が主用途である貨物機とも一般には区別されるが、貨客混載で運用される(コンビ conbi、コンビネーション combination )場合や、旅客輸送仕様と貨物輸送仕様とを切り替えられるもの(コンバーチブル convertible )もある。また、民間貨物機には旅客機の設計変更により製造されているものもある。
旅客機は通常、あらかじめ決められた時刻表に従って航空会社により定期的に運航され、乗客は運賃を支払って搭乗する。不定期に運航されるチャーター便の機材として使用されることもある。
目次 |
[編集] 旅客機の性能
輸送用飛行機の性能は、速度・航続距離・大きさ・搭載量(ペイロード)等で示される。
[編集] 機体の大きさと航続距離
現代の旅客機のうち、100 人以上の乗客を乗せる機体は、ほとんどが燃費の良いターボファン・ジェットエンジンを採用しているジェット機である。これらの機体の巡航速度は全てマッハ 0.8 - 0.9 の範囲にあり差が無い。大きく異なるのは重量・座席数・航続距離で、ターボファンジェット機の範囲内でも 10 倍程度の差がある。下記に例を示す。
- ボンバルディアCRJ100:全幅 21.2 m、全長 26.8 m、全高 6.2 m、最大離陸重量 21.5 t、乗客 50、航続距離 1,800 km(いわゆるリージョナルジェット)
- ボーイング747-400:全幅 65.1 m、全長 70.7 m、全高 19.3 m、最大離陸重量 360 - 390 t、乗客 400 - 450(国際線)/ 560 以上(日本国内線)、航続距離 13,330 km(ペイロード39,460 kg)/ 10,370 km(ペイロード 65,250 kg)
一方、数十人程度の乗客を乗せる機体の多くは、ジェット機より低速だがコストが低いターボプロップエンジンを採用しているターボプロップ機である。
[編集] ペイロードと旅客数と航続距離
旅客機では、飛行機の重さは運行自重+ペイロード+燃料で計算される。
- 運行自重:乗客を快適に迎え入れる全ての設備と人員の重量で、機体(エンジン潤滑油や油圧機器の作動油も含む)+ クルー(パイロットや客室乗務員などの乗員)+ 乗客へのサービス機材(食料やトイレの水など)。
- ペイロード:旅客とその手荷物や貨物などの「運賃を収受して載せる物の重量」で、旅客機運航の儲けの目安となる。
- 燃料:ジェット燃料はガソリンではなく、灯油に近いケロシンと呼ばれる石油精製物。燃料は胴体と主翼の燃料タンクに搭載されるが、最近は尾翼にも燃料タンクが設けられている機種や、床下貨物室内に増槽を設けることができる機種がある。尾翼燃料タンクの目的はタンク容量増大のほかに、燃料を随時ポンプで機体前後に移動させて機体の重量バランスを取り、舵面操作によらずに迎え角を調整する(トリム調整という)目的がある。
現在の大型旅客機は客室の床下に大きな貨物室を有し、乗客の手荷物以外に大量の貨物を運搬することが可能である。この床下貨物室を「ベリー」という。そこで出来るだけたくさんの乗客と貨物を積んで遠くへ飛べば売り上げが大きくなる。しかし通常の飛行機は燃料タンクを満タンにして乗客と貨物を満載すると重過ぎて離陸出来ない。そこで上記ボーイング747-400のデータのように、長距離を飛ぶ場合はペイロードを軽めにして燃料を多く積み、短距離を飛ぶ場合は燃料を少なくして、できるだけたくさんの旅客と荷物を積むことが望ましい。
- 別の例:ボーイング 777-200 の場合、運行自重139 t、最大ペイロード51 t、燃料は約80 t搭載でき総合計は270 tとなる。しかしこの機体は総重量が229 t以上では離陸をしてはいけないと決められている(この限界値を「最大離陸重量」と呼ぶ)。270t - 229t = 41t 分は飛行する路線によってペイロードと燃料の重量を調整して飛行する。短距離の路線では最大離陸重量以下で飛行する場合も多い。また、空港の着陸料は、最大離陸重量を元に決定されるため、短距離路線専用の機材では、意図的に本来の最大離陸重量より少ない重量で登録することも多い。
なお、最大着陸重量は、主として降着装置の強度上の理由から最大離陸重量(登録上ではなく性能上の)よりかなり少ない。従ってフルタンク時の緊急着陸では燃料投棄(ダンピング)あるいは上空旋回等での燃料消費が必要となる。
[編集] 座席数
同じ機体でも、航空会社によって、あるいは飛行する路線によって座席数が大きく異なる場合がある。例えば一般的に国際線を飛ぶ大型旅客機には、座席をゆったりと配置し、座席が水平にリクライニングするファーストクラス、シートが深くリクライニングする(近年は水平にリクライニングするものも多い)ビジネスクラス、観光バス並みの座席配置のエコノミークラスの3クラスの座席がある(これに加えてビジネスクラスとエコノミークラスの中間のプレミアムエコノミークラスを設けて4クラスとしているものもある)。また、短距離国際線用の機材に比べて長距離国際線用の機材のほうがシートの配置にゆとりがある。これに対し日本の国内線ではエコノミークラス主体で、大手三社は路線によっては少し広めの特別席を持つ上級クラスを加えた2クラス構成か3クラス構成としている。上記のボーイング777-200の場合国際線3クラスでは305~328席だが、最大詰め込めばモノクラス440席の設定が可能。2007年現在国内航空会社が運行する該当機(国内線用機材)の座席数は、全日空では2クラスで415席[2]、日本航空では3クラスで375席または2クラスで397席か380席である。なお、航空機には非常時の脱出時間の規制があるため座席スペースに余裕があっても出入り口や非常口に余裕がないとむやみな増席は出来ない。
なお各航空会社は、自社が保有する機材をやり繰りしながら各路線の繁忙・閑散に対応しており、長距離国際線用の機体を国内線に融通する事はよくある。
- エコノミークラス症候群:長時間じっと座っていることによる下肢の血流うっ滞で血栓が形成されることがある。これは肺塞栓をはじめとした致命的な障害の原因ともなる。フライトの長時間化が進んだ1980年代から問題となりはじめた。エコノミーの座席に限らず、長時間の座位が原因となる。
[編集] 派生型について
現在の旅客機は、最初に設計された機体を元に順次改良が施されており、派生型を持つものが多い。派生型には比較的容易におこなえる胴体延長や短縮の例が多くある。また、ボーイング737やボーイング747、DC-9のように何十年もの長期間製造されている機種ではさらに主翼などの構造変更やコックピット計器の刷新など大規模な改良が行われる例もある。
たとえばボーイング777は最初に設計された機体は777-200と呼ばれ、その後下記のような派生型がある。
- 777-200ER:200の燃料容量を増やし最大離陸重量を引き上げた機体。
- 777-200LR:200ERの燃料容量を増やし最大離陸重量を引き上げた機体で世界最長の航続距離を持っている。
- 777-300:200の胴体を63.7mから73.9mへ延長した機体。
- 777-300ER:300の燃料容量を増やし最大離陸重量を引き上げた機体。
777-200と777-300ERは、性能外観ともにかなり違う。逆にボーイング747は生産開始後35年経ち派生型も多いが、SPを除けば大きさに大差は無く、-100と-200あるいは-300以降とSUDは外観もよく似ている。
エアバスや旧マクダネル・ダグラスでは、ボーイングや、旧ダグラスであれば枝番の変更ですます程度の変更でも新機種としての名称を与えているケースもある。たとえばエアバスA320の短胴型がエアバスA319とさらに短縮したエアバスA318、長胴型がエアバスA321といった具合である。また、ダグラス、マクダネル・ダグラス、ボーイングと会社が変わりながら製造が続いたDC-9シリーズは、ダグラス時代はDC-9-XXの名称で多くの派生型が作られ、マクダネル・ダグラスでは、MD-8X/9Xの名でさらに派生型が作られ、最終型はボーイング7X7の空き番号であるボーイング717とされた。
本項では、特に必要と考えられる場合にのみ派生機種名まで示した。
[編集] 現代の旅客機
現代の旅客機は、客室内通路が左右2本あり座席が横に7~10列並ぶ「ワイドボディ機」と、通路が中央に1本だけで座席が横6列以下の「ナローボディ機」に分けられる。それぞれ「2通路機」、「1通路機」とも呼ばれる。ワイドボディ機は長距離国際線と中距離国際線・国内線に充当され、ナローボディ機は短距離国内線以下の路線に充当されることが多い。更に需要の少ない路線には座席数数十席程度のコミューター機が使用される。さらに小型の座席数が1桁のプロペラ機では客室内通路がないものもある。
下記に目的別の代表機種を列記した。長距離を飛ぶ機体のほうが大型であり、距離が短くなるにつれて順次小さくなっている。これは、一般的に大型機のほうが航続距離が長いことと、短距離の輸送ではそれほど航空需要が大きくないことが理由だが、もちろん例外も多い。
[編集] 長距離国際線
大洋を越えて長距離を飛ぶことを要求される機体。一般に乗客数300人以上の大型機である。従来、大洋上での万一のエンジン故障を想定して、エンジン3基以上を有することが必要条件であったが、近年のジェットエンジンの信頼性向上によって、双発でも十分な安全性が確認できたので、長距離双発機も開発されている。旧来の規則では、双発機ではエンジンが1基止まった場合、60分以内に緊急着陸可能な空港がある航空路のみを運行できる規則であったが、一定の規制の下に、この制限を緩和する措置が出来た。この緩和措置を「ETOPS(Extended-range Twin-engine Operation Performance System、双発機運用における範囲拡張)」と称し、機種等の条件により最大207分(3時間27分)まで認められている。これにより、ほとんどの航路での双発機の就航が可能となり、双発機のシェアが激増した。しかし、冬季のシベリアなどでは、緊急用空港が使用不能となることが多く、この場合、ETOPSによる双発機は運行できず、使用可能な空港付近を通る迂回ルートへの変更や時には欠航も余儀なくされる。また,ETOPSの基準を満たすための整備費用、事務経費も大きい。これらの点で、わずかながら3発以上の機種にも優位性は残っている。ETOPSの後継となるLROPSにおいては、長距離飛行のリスクはエンジン以外にもあるため、双発機のみに規制をかけるのはフェアではないという考えからか、多発機にもETOPS同様の規制をすべきとの意見が強くなっている、双発機が主力となるボーイング社を擁すアメリカと、4発機A340,380を持つエアバス社を擁し、多発機の優位を守りたいヨーローッパとの利害の対立もある。[要出典]。
- 4発機:ボーイング747、エアバスA340、エアバスA380、イリューシンIL-96
- 3発機:マグドネル・ダグラスMD-11、ダグラスDC-10
- 双発機:ボーイング767、ボーイング777、エアバスA330-200
[編集] 中距離国際線・高需要の国内線
ワイドボディの双発機が主体で、乗客数200人~400人の機体が使われる。需要の少ない路線には更に小型のボーイング737等の機体を(ペイロードを減らして)流用することもある。
[編集] 短距離国内線
本来、100~200人乗り程度で「ナロウボディ機」を使用する路線である。しかし日本国内の札幌・東京・大阪・福岡・那覇を発着し、いわゆる幹線を飛行する便は、需要が非常に多いにもかかわらず飛行場の発着枠が満杯で増便できない関係上、主に上記のワイドボディ機が使用されている。便数を増やして旅客の利便を図るために、より小さいコミューター機を用いることもある。
[編集] コミューター路線
需要が比較的少ないが、航空機での輸送が欠かせない路線には20~75人乗りのコミューター機が使用されている。日本国内でも高速道路の無い地区や離島への便に使用されている。一部の例外を除き双発のターボプロップ機である。
- 双発ジェット機:ボンバルディア CRJ、エンブラエルERJ
- 双発ターボプロップ機:デハビランド・カナダ DHC-8(ボンバルディア Qシリーズ)、サーブ340、日本航空機製造YS-11
[編集] 航空機メーカー
現在大型旅客機メーカーは旧ソ連以外にはアメリカのボーイングとヨーロッパのエアバスの2社しかない。両社は旧西側諸国に生き残った唯一のライバルとして、受注競争では互角の状態にある。他にコミュータークラスの旅客機メーカーが数社存在する。特にカナダのボンバルディア・エアロスペースとブラジルのエンブラエルは小型ジェット機の販売が好調で、ボーイング、エアバス両社の最小型機種の販売を苦戦に追い込むまでになっている。また、小型ジェット機の分野は今後も多くの需要が見込まれると予想されているため、ロシアのスホーイ(スホーイ・スーパージェット100)、日本の三菱重工業(MRJ)や中国メーカー(ARJ-21)などのメーカーが参入を表明している。
- ボーイング(アメリカ合衆国)
- エアバス(西欧各国共同)
- エンブラエル(ブラジル)
- ボンバルディア・エアロスペース(カナダ)
- ATR(フランス、イタリア)
- ツポレフ(ロシア)
- イリューシン(ロシア)
- ANTKアントーノウ(ウクライナ)
[編集] 過去に存在した(あるいは過去に旅客機を製造した)主なメーカー
- レシプロ機の傑作ロッキード・コンステレーションシリーズで一世を風靡し、ダグラスと熾烈な開発・販売競争を繰り広げたものの、ジェット化への対応の遅れやL-188 エレクトラの空中分解事故で信用を落としてしまった。起死回生を狙ってジェット旅客機L-1011 トライスターを開発し、再びダグラス(マクダネル・ダグラス)と販売競争を展開したが、エンジン開発の遅れやロッキード事件の影響などで結局失敗し(赤字だった)、1983年に旅客機の生産を終了。ただし、現在でも後身のロッキード・マーティンは世界最大級の軍用機メーカーである。
- プロペラ機・ジェット機時代を通じてボーイングと並ぶアメリカの名門メーカーであったが、資金繰りに行き詰まり1980年代にマクドネル・エアクラフト社と合併した。また、ロッキードとの販売競争によって体力が衰え、ヨーロッパのエアバスが台頭してくるのと反比例するかのように力を弱めてしまい、1997年には長年のライバルだったボーイング社に吸収された。
- 世界初のジェット旅客機デハビランド コメットを開発したが、設計上の欠陥による金属疲労で度重なる空中爆発事故を起こしてしまった。
- ビッカース
- ホーカー・シドレー → ブリティッシュ・エアロスペース ( → BAEシステムズ)
- ターボプロップ機を開発していたが撤退した。現在も世界中で運航されており、日本でもサーブ340が日本エアコミューターや北海道エアシステムで現在も活躍している。
- シュド・アビアシオン → アエロスパシアル ( → EADS)
- ミラージュ戦闘機などの軍用機で知られる同社は、初の旅客機として短距離用小型ジェット機メルキュールを開発したが、わずか11機しか発注されず、大失敗に終わる。
[編集] 旅客機の歴史
ライト兄弟が人類初の動力飛行の成功したのは1903年12月17日である。最初の頃の飛行は冒険に近く、一般の人の旅行に使われるレベルではなかった。航空機の信頼性が向上し、旅客機として商売が成り立つようになるのは、第一次世界大戦後のことである。
なお、ソ連でもイリューシン、ツポレフなどで旅客機が製造され、共産主義各国で使用されたが、今の所ここでは割愛する。
[編集] 命がけの乗り物:黎明期
旅客機の歴史が始まったのは、第一次世界大戦後の事である。大幅な軍縮によって解雇された軍のパイロット、民間に放出された軍用機によって、旅客輸送事業は始まった。爆撃機や偵察機を改造した機体によって、荷物や乗客を運んだ。1919年2月5日、ベルリンとワイマールを結ぶ世界初の定期航空便が生まれた。そして3日遅れてパリとロンドンを結ぶ初の国際航空便が生まれた。当時の乗客は戦後処理を迅速に進めるための政治家、外交官、その他緊急目的でやむを得ず飛行機に命を預ける事になった民間人、そして自らの命を賭けた冒険に大金を払う金持ちであった。偵察機や爆撃機を改造した機体の乗客席はオープンキャビンであり、風をまともに受けた。乗客はパイロット同様に安全ヘルメットと風防眼鏡を着用した。やがて普通の服装で搭乗できる密閉されたキャビンの旅客機が登場するが、まだまだ安全性にはほど遠く、危険な乗り物であった。安全で豪華な空の旅を希望する者に対しては、飛行船がそのニーズに応えた。既に戦前においてツェッペリン飛行船が、35,000人もの乗客を無事故で運んだ実績があった。
- ファルマンF.60ゴリアト:初飛行1919年、巡航速度130km/時、乗客12~14名。爆撃機を改造した、世界初の密閉されたキャビンを持つ旅客機。パリ・ロンドン間を2時間50分で結んだが、試験的なものであり不定期便であった。
- ユンカースF13:初飛行1919年、巡航速度145km/時、乗客4名(ただし乗客の体重によっては3名に制限)。世界最初のその目的で設計された民間旅客輸送機で、全金属機。20年代の旅客機のベストセラーとなった。
[編集] 贅沢で優雅な乗り物:1930年代
1930年代頃から技術の進歩により、航空機の信頼性・安全性が認められ、黎明期のような「命がけの飛行」では無くなり、本格的に利用され始めた。その一方、飛行船は 1937年のヒンデンブルク号爆発事故をきっかけに危険性が喧伝され、飛行機と比較しての速度の遅さもあって、利用されなくなった。この頃旅客機を利用する乗客は、地位と財力を併せ持った一部の人に限られ、座席クラスも現在のファーストクラス(一等)に相当するものしか無かった。飛行中に提供される食事は必ず提供される直前に調理または加熱され、白いテーブルクロスのかけられた食卓で銀製の食器を使用するなど(マーチンM130)、現在のファーストクラスをはるかに上回る贅沢さであった。なおこの時代、大洋を横断する路線は飛行時間が極端に長かったこともあり、万一の際の着水を想定して飛行艇が使用された。
- ハンドレページHP42:初飛行1930年、巡航速度160km/時、乗客24~38名。複葉4発の陸上機で8機製作された。豪華さ以外に運行上の事故ゼロの安全性を誇った。
- ユンカースJu52/3M:初飛行1932年、巡航速度245km/時、乗客15~17名。単葉の3発機。派手さは無いが堅実な設計で、第二次世界大戦まで輸送機としても生産され総生産数は約5000機。
- マーチンM130:初飛行1934年、巡航速度262km/時、乗客14~30名。パンアメリカン航空が太平洋横断路線用に3機購入した4発飛行艇。近距離では乗客30名を乗せるが、海を越えるときは定員を14名として、ゆったりした旅を提供した。サンフランシスコ-マニラ間は島伝いに5日かかり、乗客は毎夜各島のホテルで宿泊し翌朝再度搭乗した。その豪華な旅は「チャイナ・クリッパー」の名と共に語り草になっている。
- 九七式飛行艇:初飛行1936年。元来は軍用機であるが、民間型も生産され、当時日本の信託統治領であったサイパン・パラオ方面への定期便に就航した。この日本初の民間航空便の開拓物語は、『南海の花束』(東宝)という映画にもなった。
[編集] 長距離国際線の確立:1940年代
第二次世界大戦後アメリカ国内で航空旅行の需要が増大し、新しい機材の開発が活発に行われ、より速く・より快適な機体が作られた。この時代まで旅客機は酸素マスクの必要無い低空を飛んでいたが、高空でも快適な環境を提供できる与圧室が実用化され、空気の乱れの少ない高空を高速で飛ぶことができるようになった。旅客機は第二次世界大戦中もアメリカ国内で輸送機として大量に生産・使用され、4発大型機の安全性が確認された。その結果 大洋横断路線にも陸上機が大量に進出し、4発陸上機による長距離国際線が確立された。これ以後 旅客機としての飛行艇は生産されなくなった。
- ダグラスDC-3:初飛行1935年、巡航速度345km/時、乗客21名。アメリカ大陸横断用の高速機として設計された双発機。戦時中の輸送機型を含めて1万機以上生産されたベストセラー機。
- ボーイング モデル307 ストラトライナー:初飛行1938年12月31日、巡航速度352km/時、乗客37名。同社の爆撃機B-17(モデル299)の主翼等を流用して設計された4発機。旅客機として世界で最初に与圧室を実用化した豪華な機体。
- ロッキード 049 コンステレーション:初飛行1943年、巡航速度526km/時、乗客40~80名。巡航速度が同時代の日本の零式艦上戦闘機より速い4発機。完全与圧と高速で快適な旅を提供した。上下にゆるくS字型をえがいた胴体と3枚の垂直尾翼が特徴。
- ダグラスDC-6:初飛行1947年、巡航速度494km/時、乗客50~100名。ダグラス社最初の実用4発与圧機。DC-6はその後DC-7に進化し、コンステレーション→スーパーコンステレーションと激しく競争した。
- ボーイング モデル377 ストラトクルーザー:初飛行1947年7月8日、巡航速度480~544km/時、乗客52~60名。爆撃機B-29の主翼等を流用した4発機。胴体は2階建てで飛行中に酒を楽しめるバーもあった。ジェット時代への過渡期であった上、エンジントラブルが頻発したため生産数は56機と少なかった。
[編集] ジェット旅客機の誕生:1950年代
ジェット機は第二次世界大戦中にドイツとイギリスで戦闘機として実用化された。プロペラ機の2倍近い速度が出せるジェット旅客機は、戦後まずイギリスで中型機コメットとして誕生した。プロペラ機特有の振動から開放された快適さと高速で画期的な飛行機とされたが、与圧室の強度不足から相次いで空中爆発事故を起こしたり、乗客36名(当時の4発プロペラ機の半分)など中途半端な機体であった。本格的ジェット時代はアメリカのボーイング707の誕生によって開かれた。その後ジェットエンジンは燃費の悪いターボジェットから燃費の良いターボファンジェットに進化し、航続性能も大幅に改善された。
- デハビランド・コメット:初飛行1952年、巡航速度720km/時、乗客36名。世界初の実用4発ジェット旅客機。世界初のジェット旅客機だったが、気圧の低い高々度での与圧の繰り返しによる金属疲労が原因の墜落事故(コメット連続墜落事故)が多発した。これらの問題を解決したコメット4が1958年に就航したが、下記ボーイング707などの本格ジェット旅客機に主役の座を奪われた
- ボーイング707:初飛行1957年12月20日、巡航速度973km/時、乗客140~200名。従来のプロペラ4発機の2倍の速度と2倍の搭載量を持つ真に画期的な4発ジェット旅客機。運用する航空会社にとっても「確実に儲かる」機体であった。
- ダグラスDC-8:初飛行1958年、巡航速度マッハ0.82、乗客140~200名。ボーイング707に対抗して作られた4発ジェット旅客機で、707と激しく競争した。設計が後になった分 新しい技術が使われている。特に脚が長く、派生型では胴体の大幅な延長が可能だった。
- コンベア880:初飛行1959年、ボーイング707やDC-8の対抗機として開発された。初期のジェット旅客機の中では最速のスピードを売りにしていたが、実際には狙った通りの性能が出ず、また操縦性にも難があった。最大乗客数は110名程度。後継機として、コンベア990がある。
- シュド・カラベル:初飛行1955年、巡航速度805km/時、乗客80名。ヨーロッパ大陸内をこまめに飛び回る双発ジェット機として作られた。機体の一部や主翼などはコメットと共通、エンジンも英国製だが、三角形の客室窓やエンジンの配置にフランス製らしさが溢れるカワイイ機体。エンジン後部マウント式旅客機の1号機。
[編集] 旅客機の大衆化時代:1960年次以後
第二次世界大戦後の欧米や日本では、安定した原油価格という条件下で経済成長が進んだ。これまで一部の金持ちや会社の重役の出張にしか使われなかった旅客機の運賃(航空運賃)が、一般庶民でも利用できるような価格まで(相対的に)低下してきた。この結果、大洋航路の大型客船は輸送主体の使命を終え、船旅自体を楽しむ回遊目的のクルーズ客船としてのみ生き残っている。また中・短距離の路線に進出した旅客機は鉄道と競合し、一時欧米では長距離列車無用論が唱えられるほどであった。現在は新幹線やTGVに代表される高速列車と旅客機は世界各地で競合しており、乗客にとって歓迎すべきサービス合戦を行っている。 ボーイング747に代表されるワイドボディ機の大量進出は、国際線のエコノミークラスの運賃を劇的に低下させ、庶民が簡単に海外旅行を楽しめる時代を作り出した。 その一方、超音速旅客機も各国で開発され、英仏が共同で開発したコンコルドのみが実用化されたものの、旅客機の大衆化という時代の流れとは完全に乖離しており、ごく僅か用いられただけで運行も終了した。
- フォッカー・F27フレンドシップ:初飛行1955年、巡航速度480km/時、乗客56名。オランダの名門フォッカー社が製作した短距離用双発ターボプロップ機。日本では全日空が25機を導入し日本の空を飛び回った。高翼で窓からの見晴らしが良く、乗客からは好評だった。
- 日本航空機製造YS-11:初飛行1962年、巡航速度474km/時、乗客64名。日本が戦後独力で開発した唯一の旅客機。地方空港でも使いやすいように離着陸性能に重点を置いて設計された双発ターボプロップ機。日本航空機製造はYS-11を作るために設立された会社だが、結局赤字のまま生産は182機で打ち切られた。昭和40年代以降、長く日本の地方を結ぶ航空路線で活躍。法令改正で空中衝突防止装置設置が義務付けられることになったため2006年に日本の商業路線からは引退したが、機体の設計は優秀・頑丈で、現在でも充分飛行可能。
- ボーイング727:初飛行1963年、巡航速度964km/時、乗客189名(最大)。中・短距離路線に登場した本格的ジェット旅客機。エンジン3基を全て機体後部に集めたリアジェット方式で、非常にスマートに見える機体。離着陸性能を良くするため、主翼前縁にはクルーガー・フラップとスラットが付き、後縁にはトリプル・スロッテッド・フラップ(3枚にすだれのように開くフラップ)という強力な高揚力装置を有する。
- ボーイング747ジャンボジェット:初飛行1969年、巡航速度910km/時、乗客350~594名。アメリカ空軍の大型輸送機計画でロッキードC-5Aの後塵を拝したボーイング社が、その技術を利用して、パンアメリカン航空の強い要請を受けて製作した4発ジェット機。客室内に平行した2本の通路を有するワイドボディ機の第1号で、慣性誘導装置等の最新鋭の機器を搭載して登場した。一部二層の客室を持つ大きなキャパシティーでたくさんの乗客を一度に運び、長距離国際線のコストを大きく下げた立役者。
- ダグラスDC-10:初飛行1970年、巡航速度876km/時、乗客206~380名。旅客機の名門ダグラス社が生産した3発ワイドボディ機。エンジンは2基が主翼に、1基が垂直安定板の中間に設置されているのが特徴。トライスターとの激しい販売競争に勝利したが、その過程でダンピング販売や貨物室ドアの欠陥を改修しないままの販売と、それによる墜落事故発生などの汚点を残してしまった機材でもある。派生型として米空軍向け空中給油機KC-10があり、後継機はMD-11。
- ロッキードL-1011 トライスター:初飛行1970年、巡航速度マッハ0.85、乗客255~326名。DC-10と同時期に同様な条件で設計された3発ワイドボディ機。中央エンジンは胴体後端に設置されデザイン的にはDC-10よりすっきりしている。先進的な自動操縦装置を備えたハイテク機だったが、販売面ではDC-10に太刀打ちできずに苦戦。事態を挽回しようとダンピング販売や、日本への売り込みに際し、政治家を利用したロッキード事件等の賄賂攻勢を行ったが、結局販売は伸びず、赤字のまま250機で生産が打ち切られた。
- エアバスA300:初飛行1992年、巡航速度875km/時、乗客200~3200名。ヨーロッパ域内を乗客300名を乗せて飛ぶことを想定して設計された双発ワイドボディ機。この機体を生産するためにヨーロッパ各国が出資してエアバスインダストリィー社が設立された。機名はAirbusの300人乗りに由来するが、以後に開発された機体は乗客数に関係なく、おおむね300番代の続き番号である。
- エアバスA320シリーズ:初飛行1987年、巡航速度840km/時、乗客107~220名。民間機として初めてデジタル式フライバイワイヤを採用した小型ナローボディ機。操縦室から操縦輪を廃してサイドスティック方式を導入するなど、最新鋭の技術を投入したハイテク旅客機。この320シリーズは大成功を収め、エアバス社がボーイング社と並ぶ旅客機の世界二大メーカーのひとつに成長する原動力となった。
- エアバスA380:初飛行2005年、巡航速度1041km/時。2007年に就航した、世界最大の旅客機。全面2層の客室と床下貨物室を有する。最初に就航する標準型A380-800は、3クラスで乗客550人前後、オールエコノミーで854人まで可能と公表されている。
[編集] 機体デザインの変遷(1960年以降)
プロペラ時代の末期からジェット化初期の1960年-70年代は、大半の航空会社は塗装が白地で、窓の部分にライン(チートライン)を入れる、という塗装を採用しており、ノーズ部分のレーダーは感度を良くするため黒の誘電性塗料が塗られていた。
しかし、1980年代に入るとレーダーの技術的進化によってノーズ部分の黒い塗装が不要になり、デザインが多様化していった。この時代から多く見られるようになったのは、白地に大きな社名ロゴ(「ビルボードスタイル」と呼ばれる)を導入したものである。
1990年代以降は塗料やデカール技術などの進化により、写真をそのままデザイン化した塗装やエア・カナダなどのようにパール系の塗装などが増えるようになってきた。また、特別塗装機やかつてのデザインの復刻塗装、広告塗装など、様々なデザインが生まれている。一方では、アメリカン航空のようにポリッシュド・スキンと呼ばれる金属の地色そのままのデザインを頑なに守っている航空会社もある。
|
伝統の「ポリッシュド・スキン」を守るアメリカン航空のボーイング777 |
この節の参考文献:『デザインで選んだ世界のエアライン100』(チャーリー古庄著 2007年 枻出版社)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 「りょきゃくき」という読み方は辞書にない。大辞林:りょかくき、大辞泉:りょかっき
- ^ 日本の旅客機2007-2008(2007年、イカロス出版、ISBN 978-4-87149-979-8)











/
/ 


























