Search:


AdWiki Webring Site

Last Viewed:


HitTail.com
...
SELECT YOUR LANGUAGE:

ar | id | bg | ca | ceb | cs | da | de | et | en / / | es | eo | fr | gr | he | hr | it | ko | lt | hu | nl | ja | no | pl | pt | ru | ro | sk | sl | sr | fi | sv | te | tr | uk | zh

日系ブラジル人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大日本帝国政府の代行として移民事業を担った海外興行株式会社による広告。「一家をあげて」とあるが、これはブラジル側が労働力確保を目的としていたため、基本的に、働き手が3人以上いる家族にしか移住の許可を与えていなかったことに関連している。

日系ブラジル人(にっけいブラジルじん)は、ブラジル移民として渡った日本人の子孫である。ブラジルは世界最大の日系人居住地で、現在約150万人の日系人が住む。なお2008年は、日系移民100周年にあたり両国でさまざまな催しが予定されている。

目次

[編集] 概要

[編集] ブラジルへの移民

リベルダージのガルボン・ブエノ通り
日系ブラジル人女性

日本人のブラジルへの正式な移民は、1908年神戸港を出港した笠戸丸に始まる。当時、土地が有り余るブラジルでは農業労働者が不足しており、日本の農村は貧しく、大日本帝国政府が海外への移民を奨励したものの、1920年代に入ると、それまで最大の日本人移民の受入国であったアメリカにおける日系人に対する人種差別の激化と、それに伴う黄禍論の勃興などにより日本人移民の受け入れを実質禁止したこともあり、ブラジルが最大の日本移民受入国となった。

日本人移住者の多くは、多くの移民船の最終目的地となったサントス港を外港とするブラジル最大の都市であるサンパウロ市周辺のコーヒー農園で働き、現在もサンパウロの日本人街リベルダージを中心とするサンパウロ周辺に日系人が多い。

第二次世界大戦ではブラジルは連合国の1国となり、枢軸国の1国の日本と国交を断絶し、ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領の命令のもと日本語新聞や日本語学校を禁止した。戦後には、在留する日系人の間で、日本の敗戦を受け入れたものと受け入れないもの同士による分裂してテロ事件まで発生し、いわゆる「勝ち組」と「負け組」の問題が発生した。

[編集] 高い評価

戦後もアルゼンチナ丸などの移民船で移民した日本人は多い。移民総数は25万人に達し、その子孫である2世、3世は、その勤勉さと教育程度の高さから社会的地位が高い職業についているケースが多く、政・官界や経済界のみならず、医師弁護士教員芸術文化スポーツ等を含む広範な分野に進出しており、1960年代以降に多くの日本企業がブラジルに進出した際には、これらの日系ブラジル人と、日系ブラジル人がブラジルに作り上げた「日本人は勤勉」、「日本人は信用できる」という評価が日本企業のブラジル進出と市場への浸透を容易にしたと高く評価されている。

ブラジル及びラテンアメリカ諸国全体で見ても屈指の大学とされるサンパウロ大学の学生のうち、約15パーセントが日系人の子弟であるが、1パーセントに満たない日系人の人口比からみて、それがいかに高いものかがわかる(ただし、サンパウロ州としてみれば総人口に占める日系人の比率は2パーセント強であり、サンパウロ大学の本キャンパスが所在するサンパウロ市にいたっては総人口の5パーセント強は日系人であるという点、ブラジルの中でも日系人が偏在しているサンパウロ州周辺の南東部・南部地域が他の地域に比べ高等教育を受けやすい地域でもある)。現在は4世、5世も誕生し、完全にブラジル社会に同化している。

[編集] 日本出稼ぎ

しかし、1970年代後半以降、ブラジルは激しいインフレーションに見舞われるなど経済的苦境が続き、日本は高度経済成長を遂げたために移民の流れは逆転した。特に1990年に日本の出入国管理法が改正され、3世までの日系人を無制限に受入ることを始めると、多数のブラジル日系人が日本へ出稼ぎにくるようになった。

ブラジルの経済が再び活況を呈している現在でも日系ブラジル人の日本への出稼ぎは多く、現在日本に滞在する日系ブラジル人は約30万人とされる。群馬県太田市群馬県邑楽郡大泉町栃木県小山市愛知県豊田市豊橋市静岡県浜松市などの期間労働者期間工)を多数雇用する工場地帯に多い。

[編集] 日本での問題

[編集] 子弟の就学問題

日本の公立学校は外国人学齢期子弟の受入れを行なっているものの、それら子弟は日本語が話せない者が多く、両親も教諭との日本語での十分なコミュニケーションがとれないケースもある。また、公立学校側もブラジルの習慣を熟知しポルトガル語を使って学校生活をフォローできる人材が少ないなどの理由から、日本の学校に馴染めず不就学となるケースが多い。

日本国内にはブラジル政府が認可するブラジル人学校も存在するが、それらの学校はブラジル人向けのナショナルスクール扱いであり、日本文部科学省の学習指導要領に沿った教育を行わないことから、日本の学校教育法に基づく学校制度においては「各種学校」扱いとなる。このため、文部科学省からの各種支援がない他、日本の小学校中学校高等学校の卒業資格は得ることができない。また、ブラジル本国からの支援は図書の寄贈だけである。

2000年頃から、こうした若者の一部が疎外感を求心力に集結し、非行にはしるケースが見られるようになってきた。これらを受け、自治体においてはブラジル人教員の採用、不就学児童生徒の実態調査、NPOを活用した教育機会の提供等、教育対策が徐々に進められてはいるが、条件の良い職場を求めて日本国内を転々とする親側の事情もあり、満足の行く対応は難しい。

これらの事例は岐阜県美濃加茂市など日系ブラジル人が数多く暮らしてる所で起きているという。


[編集] 差別

複数の人種や民族、文化的背景を持つ者が集まったコミュニティでは、無知や偏見、無理解を背景にした差別は付き物だが、日本にルーツを持つ上、日本においては比較的好感度の高いブラジルから来たとは言え、日本に在住する日系ブラジル人も差別と無縁ではない。

2006年4月、静岡県袋井市で日系ブラジル人3世の男性工員が新居用の土地を購入しようとしたところ、その地域の12世帯で作る長溝自治会がブラジル人の転入阻止を決定、不動産業者から土地売買の仲介を受けられなくなってしまった[1]。長溝自治会の住民は、「在日ブラジル人の犯罪が多いため何か起きたら怖い」と話していたという。前述の在日ブラジル人の犯罪が差別に繋がっている実態が明らかとなった。この男性は、特に犯罪歴はない普通の在日ブラジル人である。

男性は静岡地方法務局袋井支局に人権侵害と訴えた。袋井支局は訴えを認め、阻止行為を「人権侵犯」にあたるとして住民らにやめるよう「説示」する事態となった。しかし結局、男性は市内の別の場所に土地を購入した。

[編集] 著名な日系ブラジル人

[編集] 1世

  • チヅカ・ヤマザキ - ブラジルの映画監督
  • 上原幸啓 - サンパウロ大学工学部教授(水力学。)イタイプダムを初めとするブラジルの多くのダム中華人民共和国三峡ダムの建設に参画し、「川を手なずける人」の異名を持つ) (pt)
  • 内藤克俊 - 1924年パリオリンピック レスリング フリースタイル銅メダル)
  • トミエ・オオタケ(Tomie Ohtake(大竹富江),1914-) - 抽象画家、造形作家。京都出身。23歳で渡伯。すぐに結婚。40歳から画家として出発。現在ではブラジル現代アートの巨匠と目される。地下鉄、道路、公会堂など公共の場に巨大なオブジェクトが飾られている。2001年にはサンパウロに大竹富江文化センターを創設。2008年には日本人移民100周年事業としてサンパウロのグアルーリョス空港に巨大なモニュメントを創作。90歳を過ぎても元気に創作を続けている。

[編集] 2世(含準2世)

準2世とは幼少時に家族に連れられてブラジルに渡り、ブラジルの文化的影響をより強く受けている者を意味する。正式な定義はないが、大体、10歳以下で渡伯し、国籍もブラジルに帰化している者を指す場合が多い。最終的には、1世か準2世かは、当人の意識の問題と見られる。

  • フラビオ・シロー(Flavio Shiro,田中フラビオ駟郎、「田中四郎」と誤記されることも多い、1928年 - )- 抽象画家)札幌出身。4歳で渡伯。ブラジル抽象絵画界の一人者。パリやサンパウロのビエンナーレなどで受賞多数。リオデジャネイロ近代美術館、サンパウロ近代美術館、グッゲンハイム美術館、パリ市庁舎などに作品が所蔵されている。日本でも1993年に東京・品川の原美術館で3か月ほど個展が開催された。2007年にパリのブラジル大使館にギャラリーが開設されたときも、こけら落としに個展が開催された。2008年8月には日本人移民100周年記念事業の一環として、トミエ・オータケ・センターで個展が3ヶ月に渡り開催された。現在もパリとリオデジャネイロの家を往復しながら、創作している。
  • ルイ・オータケ(Rui Ohtake,1938~) - 建築家。東京のブラジル大使館公邸、大竹富江文化センターなど建築。トミエ・オータケの長男。
  • リカルド・オータケ(Ricardo Ohtake,1942~) - デザイナー&キュレーター。元サンパウロ州文化長官。トミエ・オータケの次男。
  • ジュンイチ・サイトウ 斎藤準一(Junichi Saito) - 2008年3月にブラジル空軍大将から、空軍最高総司令官に就任した。
  • セルジオ越後 - 日本のサッカー解説者。
  • 与那城ジョージ - サッカー監督。選手時代に帰化日本代表として試合出場歴あり。
  • ルイス・グシケン - ブラジル大統領府広報行政調整長官。
  • アルフレッド・コジマ - プログラマー。Window Maker作者。
  • カシオ・タニグチ - 元クリチバ市長。ブラジルの州都で市長になった初の日系人。
  • カルロス・トシキ - 日本の歌手・オメガトライブ

[編集] 3世

ジュリアナ・イマイ

[編集] 不明

[編集] 脚注

  1. ^ "自治会がブラジル人転入阻止 「人権侵犯」と法務局通知". 朝日新聞. 2007年6月28日 閲覧。
  2. ^ アリーニ・ナカシマ - 夢遊典
  3. ^ 緑マイザ - 夢遊典

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

豊田市 (愛知県)

※上記の4市1町は日系ブラジル人の居住が多い。

[編集] 外部リンク

Change language: All | Arabic | Indonesian | Bulgarian | Catalan | Cebuano | Czech | Danish | German | Estonian | English / / | Spanish | Esperanto | French | Greek | Hebrew | Croatian | Italian | Korean | Lithuanian | Hungarian | Flemish / Dutch | Japanese | Norwegian | Polish | Portugues | Russian | Romanian | Slovakian | Slovenian | Serbian | Suomi / Finish | Swedish | Iranian | Turkish | Ukrainian | Chinese



MORE LINKS...





WANT TO ADVERTISE ON ALL OF OVER 11 MILLION SUBPAGES WE HAVE ON THIS SITE FOR UNDER $15? CLICK HERE!




Autorem skryptu AdWiki v0.62 (2007) jest husky83
Licencję na skrypt dla strony DAWAJ.INFO posiada dzankes
Wikipedia® jest zarejestrowanym znakiem towarowym Wikimedia Foundation
All materials mirrored from Wikipedia, covered under a GNU Free Documentation License