蕎麦
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蕎麦(そば)穀物のソバの実を原料として加工した、日本の麺類の一種、および、それを用いた料理。蕎麦切り(そばきり)、日本蕎麦(にほんそば)とも呼ばれている。歴史は古く、うどんや寿司、天麩羅と並ぶ代表的な日本料理である。この蕎麦の調味として作られる「蕎麦つゆ」や「蕎麦汁」は、主に西と東では色・濃さ・味になどに明らかな違いがあり、その成分も各地によって好みが分かれる。なお、蕎麦をゆでたゆで湯は蕎麦湯として飲用に供される。
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概要
ソバはタデ科の一年草で、日本のみならず、アジア内陸地帯、東欧、中欧、北欧、南欧山岳地帯、南北アメリカ他で栽培され、食用とされる。なお、植物あるいは作物としてのソバの特性はソバに記載されており、そちらを参照にされたい。
製法
手打ちそばの場合、蕎麦粉(製法は蕎麦粉を参照のこと)をこね鉢と呼ばれる木製の鉢に入れ、水を加えて練り上げる。これを打ち粉を広げた木の台に移し、巻き棒と延し棒と呼ばれる麺棒を使って板状に延ばしてから、まな板に移し、「小間板」(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で幅1-2mm程度の線状に切断して麺の形とする。茹で上げて麺の完成となる。
蕎麦粉に含まれるタンパク質は小麦粉と違ってグルテンを形成しないので、水だけを加えて練ってもまとまりにくい。粘りけを出すためつなぎとして小麦粉や山芋、玉子、布海苔、オヤマボクチなどを混ぜることが多い。100%蕎麦粉だけでつくる蕎麦麺を「生粉打ち蕎麦」(十割蕎麦)という。なお、十割蕎麦は小麦粉を「つなぎ」に使ったいわゆる二八蕎麦よりも切れやすく、江戸時代には今のように茹でる蕎麦ではなく、蒸篭に乗せて蒸し、そのまま客に供する形の蕎麦が主流であった。現在も一般的なメニューとして名を連ねている「せいろそば」はその名残である。十割蕎麦では、湯を加えて蕎麦粉のデンプンの糊化を促進するか、別途蕎麦粉を糊化させたものをつなぎとして使用する場合もある。その他、微細製粉により手打ち十割蕎麦をつくる方法、押し出し麺により製造する方法、粗挽き蕎麦粉を水練りにより製造する熟練の手打ち製法等がある。
蕎麦の太さと蕎麦の材料によって汁の絡み具合が変わる。細い蕎麦は汁が絡みやすい。汁が絡みやすい蕎麦には辛い汁をちょっと付けて食べる。そば切りの太いものを「どじょう蕎麦」という。
蕎麦を茹でた湯はごく薄い粥のようになる。これを蕎麦湯(そばゆ)という(詳しくは後述)。
食べ方
最も一般的な食べ方は、茹でた後にぬめりを取るために冷やしながらそばを洗い氷水等で締め、つゆにつけながら食べる盛りそばやざるそば(違いについては後述)である。また、茹でて冷やして締めたそばを暖めて丼に盛り、温かいつゆを張ったかけそばもある(語源は「つゆをぶっかける」が縮まったもの)。
そばの香りや喉越しを楽しむために食べるときに音を立てることが許され、その点で世界的にも稀有な食品である。
多くの蕎麦好きは、新蕎麦の季節ともなれば特に蕎麦の香りを重要視する。そうした蕎麦の香りを存分に味わうには、空気と一緒に啜り込み、鼻孔から抜くようにして食べるのが最良であるとされる。
原材料
蕎麦は「蕎麦粉」と「つなぎ」「水」にて作られる。(つなぎの入らないものもある)
蕎麦粉とつなぎとして使用する小麦粉などの配合割合に応じて、十割蕎麦(生粉打ち蕎麦)、九割蕎麦、八割蕎麦(二八蕎麦)、七割蕎麦、六割蕎麦などと名称が変わる。
他につなぎとして使用されるものは山芋、こんにゃく、布海苔、オヤマボクチなどがあり、それらを加えることで独特の食感やコシが発生する。布海苔を加えた蕎麦はへぎそばと称されることもある。
また、風味付けに加えられる素材によって、胡麻切り蕎麦(黒ゴマを使用)、海苔切り蕎麦(海苔を使用)、茶蕎麦(抹茶を使用)などの種類がある。店によってはモロヘイヤ、山椒、タケノコ、ふきのとう、アシタバ、大葉、柚子、若布、梅などの季節の植物を練り込んで出すところもある。
最近はルチンが豊富に含まれたダッタンソバを用いた麺もメニューの一つとして提供される。
植物としてのソバの詳細についてはソバの項目を参照
栄養・成分
蕎麦の蛋白質はアミノ酸スコア92%と必須アミノ酸を豊富に含み、穀物として優秀な栄養価をもっている。 また蕎麦(蕎麦粉)に含まれる特徴的な機能性成分としてルチンがあげられる。
アレルギー性
蕎麦(蕎麦粉)は材料・加工品ともにアレルギー物質を含む食品として食品衛生法施行規則、別表第5の2による特定原材料として指定されている。同法第11条及び同規則第5条による特定原材料を含む旨の表示が義務付けられている。
症状としては、軽い頭痛から嘔吐など様々であり、症状は食後すぐから現れる[1]。そば・うどん店では同じ釜でそば・うどんを茹でる場合も多く、アレルギー物質を摂取する可能性があり、注意が必要である。
歴史
ソバの日本への伝来は奈良時代以前であることは確実である。『類聚三代格』には養老7年8月28日(723年)と承和6年7月21日(839年)付けのソバ栽培の奨励を命じた2通の太政官符を掲載しているが、当時「曾波牟岐(蕎麦/そばむぎ)」(『本草和名』・『和名類聚抄』)あるいは「久呂無木(くろむぎ)」(『和名類聚抄』)と呼ばれていたソバが積極的に栽培されたとする記録は見られない(なお、『和名類聚抄』では、蕎麦(そばむぎ)を麦の1種として紹介している)。更に鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、平安時代中期の僧・歌人である道命(藤原道長の甥)が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて食膳にも据えかねる蕎麦料理が出されたことに対する素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記している。これは都の上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言える。この時代の蕎麦はあくまで農民が飢饉などに備えて僅かに栽培する程度の雑穀であったと考えられている。なお、蕎麦の2字で「そば」と読むようになった初出は南北朝時代に書かれた『拾芥抄』であり、蕎麦と猪・羊の肉との合食禁(食い合わせを禁ずる例)を解説しているが、今日における科学的根拠は無い。
蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。古くは、同じく蕎麦粉を練った食品である蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練りとも言う)と区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。現在は、省略して単に蕎麦と呼ぶことが多いが、「蕎麦切り」の呼称が残る地域も存在する。
この蕎麦切りの存在が確認できる最も古い文献は、長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の寄進記録である。同寺での1574年(天正2年)初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認でき、少なくともこの時点で蕎麦切りが存在していたことが判明している。
他に蕎麦切り発祥地として中山道本山宿(現在の長野県塩尻市宗賀本山地区)という説、甲斐国の天目山栖雲寺(現在の山梨県甲州市大和町)説(天野信景著『塩尻』)もあるが、定勝寺文書の傍証を鑑みるに、確実な発祥地とは言い難い。
しかしながら、江戸時代初期から文献では、特に寺院などで「寺方蕎麦」として蕎麦切りが作られ、茶席などで提供されたりした例が見られる。1643年(寛永20年)に書かれた料理書「料理物語」には、饂飩、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。17世紀中期以降、蕎麦切りは江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着した。
定義
「そば(蕎麦)」には、原料植物を意味する以外に2つの意味がある。ひとつは蕎麦粉を用いた麺類の意味、もうひとつは麺類・麺料理全般の通称である。
蕎麦粉を用いた「そば」
「乾めん類の日本農林規格」[2](JAS)の「干しそばの規格」において、蕎麦粉の配合割合が40%以上の麺を標準品、50%以上の麺を上級品としている。「生めん」については、不当景品類及び不当表示防止法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約[3]」が定められており、その中で「そば粉30%以上」の製品について「そば」との表示が認められる。また、「良質のそば粉50%以上」含まれているものについては「高級、純良、特選、スペシャル等、その他これらに類似するものとして公正取引協議会で指定する文言」の表示が認められている。原材料表示は「加工食品品質表示基準」[4]にて、原料の多い順に記載するよう定められている。
麺類全般としての「そば」
中華そば・焼きそばなどのように、原義から離れて麺類を「そば」と通称することもある。このために、蕎麦粉を用いていないにもかかわらず「そば」の名が定着している食品もある。こうした用法の場合は「蕎麦」の字は用いず、ひらがなで表記するのが通例である。
たとえば、沖縄で単に「そば」と言えば通常、ソーキそばなどで有名な沖縄そばを指す。これは、蕎麦粉を一切使わず、100%小麦粉で、ラーメン製法と同じくアルカリ水溶液で練る。このため、1976年(沖縄復帰4年後)に公正取引委員会は、蕎麦粉を使わない「沖縄そば」という名称にクレームをつけ「そば」と称すべきではないとした。しかし、沖縄製麺協同組合が交渉した結果、特例として「沖縄そば」の表記が認められた[3]経緯がある。なお、沖縄で「(日本)蕎麦」を普通に食べるようになったのは沖縄復帰後であるとされている。
また、焼きそばも「そば」という名であるが、蕎麦粉を使わず、小麦粉をアルカリ水溶液で練り作られる。区別が必要な場合、蕎麦入りのものを「黒そば」あるいは「和そば」、小麦粉の中華麺を「黄そば」と呼ぶ場合があるが、「黄そば(きぃそば)」と「生蕎麦(きそば)」は呼び方が似ているため紛らわしい場合もある。
蕎麦麺の分類
製法による分類
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- 手打ち蕎麦(手打ちそば)
- 機械で製麺されるものに対して、手作りで製麺される蕎麦を言う。原料の蕎麦粉の善し悪しおよび各工程の出来が、香り・喉ごし・見栄え・食感(かたさ他)を左右し味に影響する。自分で出来の良いものを打つことを目標にし、蕎麦打ちを趣味として行う人もおり、近年各地で「そば打ち名人の段位認定」が催されるなど、団塊世代を中心にブームとなっている。
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- 手打ち風機械製麺
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- 機械製麺
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- 押し出し製麺
蕎麦粉割合による分類
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- 十割蕎麦(生粉打ちそば)
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- 二八蕎麦
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- 外二八蕎麦
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- 五割蕎麦
蕎麦粉の種類による分類
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- 更科蕎麦(さらしなそば、更級蕎麦とも)
- ソバの実を挽くと中心から挽かれて出てくることから、後から出てくる粉に比べて、最初にでてくる一番粉が白く上品な香りを持つ。一番粉を使用した蕎麦が「更科蕎麦」である。
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- 田舎蕎麦(いなかそば)
- 蕎麦殻を挽き込んだ、黒っぽい蕎麦粉により製造された蕎麦
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- 藪系の蕎麦
- 抜き実の挽きぐるみ、つまり緑色の甘皮部分を挽き込んだ鶯色の蕎麦。種皮の緑色が鮮やかな「藪」系の蕎麦はその香りが高い。
蕎麦粉の「産地」(日本国内・世界)による分類
- 信州開田高原産・北海道産・北米産・中国産など、蕎麦粉の産地・地方・国の違い等で区分。
ソバ品種による分類
蕎麦粉の「銘柄」(製粉会社)の分類
製麺団体別による分類
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- 生麺(なまめん)・生そば(なまそば)
- そばを切った後に、打ち粉をまぶした状態で、紙包みやポリ袋、プラスチック容器などに入れて売られる。前述の生蕎麦(きそば)とは異なる。
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- 乾麺(かんめん)・乾そば
- そばを風で乾かして、一定の長さの棒状に切り揃え、包装して売られる。
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- 冷凍麺・冷凍そば
- 長期保存が利くように冷凍されている麺。茹でる時間も短時間ですむ。業務用での流通が多い。また最近では1人前などの分量でスーパーマーケットやコンビニエンスストアで売られており、つゆ・だしとセットにしたものもある。
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- インスタント麺・インスタントそば
その他
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- 新蕎麦(しんそば)
- 新しく収穫したソバの実で作った蕎麦粉を使用して作られた蕎麦をあえて新蕎麦と呼ぶ。新米ご飯と同意。新蕎麦の特徴を表す種皮の緑色が鮮やかな蕎麦はその香りが高い。
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- 生蕎麦(きそば)
- 生蕎麦は現在では、二八蕎麦、十割蕎麦、五割蕎麦他の「蕎麦屋の蕎麦全般」を指す[8][9][10]。蕎麦屋で生蕎麦の語が使われるのは、上等な蕎麦を生蕎麦と呼んでいた頃の名残である。元来は「そば粉だけで打ったそば・そば粉に少量のつなぎを加えただけのそば・小麦粉などの混ぜものが少ないそば」を意味するものであった[11][12][13][14]。しかし、江戸時代中期以降、小麦粉をつなぎとして使用し始めたことにより、二八蕎麦が一般大衆化したため、高級店が品質の良さを強調するキャッチフレーズとして「生蕎麦」を使うようになった[14][15]。その後、幕末頃には「生蕎麦」の指す範囲は拡大し、二八蕎麦にも使われるようになった。現在では、蕎麦粉の割合が明らかに低いと思われる駅前の低価格立ち食い蕎麦店等でも「きそば」のぼりは堂々と掲げられており、その意味は希薄化してしまっている。そのため、蕎麦粉だけの蕎麦を売りにしている蕎麦屋は、わかりやすく表示するため「十割蕎麦」あるいは「生粉打ちそば」という表現を用いるのが一般的である[8][9][10]。また「茹でる前の生麺」、「生麺・ゆで麺など水分を多く含んだ麺」いう解釈もあるが、この場合「きそば」ではなく「なまそば(生そば)」と異称される(後述)。
蕎麦料理の種類
温かいものと冷たいもの、それから種物の種類により様々に分かれる。
冷たい蕎麦
つけ麺系の冷たい蕎麦
- 盛り蕎麦
- ざる蕎麦
- 天ざる蕎麦(天ぷら付きつけ蕎麦)
- 鴨せいろ
- つけとろろ蕎麦
そば粉本来の香りと喉越しを味わう為には、盛りやざるで食べられることが多い。
茹でたそばを水で締め、木製か竹製の四角形の器の底にすのこを敷いた蒸篭(せいろ)や笊(ざる)に盛り付けたもの。別の器に注いだ蕎麦つゆに浸けながら食べる。こちらの方がかけ蕎麦より古くからの食べ方である。薬味として、摺り下ろしたわさびや大根がよく用いられる。わさびはつゆに溶く場合と、わさびの味を損なわないためつゆに溶かずそばに乗せて用いる場合がある。大根はときには、辛味大根、ねずみ大根とよばれる刺激の強いものを用いる。関西では鶉の生卵をつゆに溶いて食べる。
ざる蕎麦と盛り蕎麦の違いについて
現在では海苔のかかったものを「ざる蕎麦」、かかっていないものを「盛り蕎麦」と呼んで区別している[16]。
元来、ざる蕎麦と盛り蕎麦の区別は、蕎麦の器(容器)の違い(ざる蕎麦は竹ざるに乗せる)と、蕎麦つゆ(「ざる蕎麦」は通常よりコクのあるつゆ)の違いであった。
なお、蕎麦そのもの麺質(粉質や種類など)に違いがあるとする考え方や、ざる蕎麦が「上」で盛り蕎麦が「並」とする考えもある。
また、蕎麦の器には「せいろ」もあるが、せいろに乗った蕎麦でも海苔がかかっていればざる蕎麦である。同様にざるに乗っていても海苔がかかっていなければ盛り蕎麦である。
ざる蕎麦の発祥は、深川の州崎弁財天前にあった伊勢屋が、蕎麦を竹ざるに乗せて出したところ評判が良く、大いに売れたことによる[16]。ほかの蕎麦屋がこの手法を真似ることで「ざる蕎麦」が広まった。なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である[16]。したがって当時の伊勢屋流のざる蕎麦に海苔はかかっていなかったと思われるがこれは未確認である。
また、盛り蕎麦の「盛り」の語は、現在の掛け蕎麦である「ぶっかけ」の対義語で、元禄時代に流行した「ぶっかけそば」と区別するために汁につけて食べるそばを「もり」と呼ぶようになった[16]。したがって、ざる蕎麦の「ざる」の対義語が「盛り」ではない。
ぶっかけ系の冷たい蕎麦
- 冷やしたぬき
- 冷やしきつね
- 冷やしとろろ
- おろし蕎麦
- みぞれ納豆
- 冷やしなめこ
- 冷やしかつ蕎麦
温かい蕎麦
- かけ蕎麦 (素蕎麦)
- 茹でたそばを丼に盛り、温かいそばつゆをかけたもの。薬味として、小口切りにした長ネギと七味唐辛子がよく用いられる。細かく刻んだ柑橘類の皮を入れると、風味が立つ。付け麺の蕎麦よりも新しい食べ方。
- つけ蕎麦
- ざるに盛った蕎麦を温かいつゆにつけて食べるもの。このつゆは通常「ぬき」(蕎麦ぬきの意)とよばれるタネをつゆで煮たものを出す場合が多い。鴨つけ、肉つけなどがある。(つけ蕎麦は温かい汁に浸けて食べても冷たい蕎麦に分類すべきとの考えもある)
- なお、一般的な蕎麦ではないが、長野県松本市奈川地方にしゃぶしゃぶのような「とうじそば」(後述、各地の名物そば長野県を参照)という温かい鍋に蕎麦をつけてから食す変わった食べ方の蕎麦もある。
詳細はきつね (麺類)を参照
- たぬき蕎麦
- 関東などでは、天かす(揚げ玉)をのせたものを指す。天ぷらのかわりにのせる=「タネ」がない、つまり「タネ抜き」がなまって「たぬき」、あるいは天ぷらの代わりとして「騙す」意味からきた呼び名とされる。京都ではくずあんを掛けて細切りの油揚げを載せたものを指し、大阪では前述のきつね蕎麦を指す。関東でいう「たぬき蕎麦」は、関西では「ハイカラ蕎麦」と呼ばれることもあるが、天かすは薬味同様に自由に入れられるようにした店が一般的であるため、特に名称がない場合も多い。
- 天ぷら蕎麦
- 種物としては最も古くからあり、江戸中期に貝柱のかき揚げなどを載せたのがはじまりという。市中の蕎麦屋では通常は海老の天ぷらを載せたものが多く、天丼のような形で天ぷらを載せるものなどもある。
- 立ち食いでは安価に供するため、東海以東・以北ではかき揚げ、関西以西では小さな海老(体長5cm未満)と大きな衣の天ぷらを用いるのが一般的である(関西以西でかき揚げを載せたものは「かき揚げそば」と明確に品名を分けることが多く、また市中の蕎麦屋と同様の大きな海老の天ぷらを載せる場合は「上天ぷらそば」「えび天そば」等の名称がある)。
- 関東中心に、竹輪の天ぷらを載せた「ちくわ天そば」というものもある。
- 別名で天南蕎麦(天ぷら南蛮)という店もあり、天ぷらの海老の数で天ぷら蕎麦2本、天南蕎麦1本とメニューでわけている場合もある。南蛮とは外国からの、南蛮煮からで唐辛子・ネギなどを加える料理からだが、現在、天ぷらそばの違いは、ネギが多用されているか否かとされる。
- 月見蕎麦
- 生卵を具とするもの。黄身を月に見立てる。
詳細は月見#料理における月見を参照
- 鴨南蛮(かもなんばん・かもなんば)
- 鴨肉と葱を具とするもの。南蛮とは葱を意味し、大阪の難波の転訛という説もある。発祥は『嬉遊笑覧』に記述がある、文化年間に馬喰町に存在した「笹屋」とされる[17]。
- 鳥南蛮
- 鶏肉と葱を具とするもの
- 肉南蛮
- 牛肉あるいは豚肉と葱を具とするもの。
- 鰊(にしん)そば
- 京都市など、ニシンの煮込みを載せたもの[18]。
- はらこそば
- 盛岡市地域など、生のイクラを具材としたもの[18][19]。
- カレー南蛮
- カレー粉を蕎麦のつゆでのばしたもの(和風出汁のカレー)に片栗粉でとろみをつけたものをかける。
- なめこ蕎麦
- ナメコをおもな具とするもの。他のキノコ類を一緒に入れる事が多い。元は山形県内陸部・東北・北関東など天然のなめこが採れる地方にて食されていた、なめこと大根おろし等を具材に用いた蕎麦[18]。
- 山菜蕎麦
- 山菜をおもな具とするもの。
- おかめ蕎麦
- 傍目八目から五目より具が多い意味で、また、おかめの顔を模した具材の配置をするからとも言われている。蒲鉾や青菜(ホウレンソウなど)などを具として載せる。
- しっぽく蕎麦
- 数種類の煮込んだ野菜が入っている。現在では京都・香川県などで、「しっぽくうどん」の麺を蕎麦に代えたものを指す。元々は寛延年間の江戸で、しっぽくうどんの影響を受けて成立した種もの蕎麦で、おかめ蕎麦の原型とも言われる。古典落語『時そば』の中にも「しっぽく」が出てくるが、現在の関東地方の蕎麦屋には無いことが多い。
詳細は卓袱料理、うどん#卓袱うどん (しっぽくうどん)をそれぞれ参照
- けんちんそば
- 茨城県・千葉県など、けんちん汁をかけ汁やつけ汁として用いる[18][20]。
- 五目蕎麦
- 花巻蕎麦
- 海苔を具とするもの。花巻蕎麦が誕生したのは江戸・安永年間(1772-81)の頃とされる。海苔を「磯の花」として例えた事から名付けられた。『時そば』で「しっぽく」と並んで登場する。
- わかめ蕎麦
- その名の通り、切ったワカメを載せたもの。
- おぼろ蕎麦
- おもに関西地区で、いわゆる「とろろ昆布」を載せたもの。
- きざみ蕎麦
- おもに関西地区で、油揚げを煮付けたりせずにそのまま短冊切りにしたもの(これを「きざみ」と呼ぶ)を載せたもの。
その他の食べ方
- 蕎麦掻き(そばがき)
- 蕎麦粉を湯がいたもの。家庭料理としては種類が多い。
- 蕎麦寿司
- 酢飯の代わりに蕎麦を用いた寿司。
- 巣篭り蕎麦(すごもりそば)
- 油で揚げたそばに和風のあんをかけたもの。形態としては皿うどんに近い。
- 蕎麦餅(そばもち)
- 蕎麦粉と乾燥させた牛蒡の若葉などを混ぜ、小麦粉をつなぎとして加えた後に練り上げて蒸したもの。葛餅や蕨餅に近い食感の和菓子。
- 蕎麦饅頭(そばまんじゅう)
- 皮に蕎麦粉を使用した饅頭で、つなぎにすりおろした長芋を用いたものもある。
- 蕎麦クッキー(そばクッキー)
- 小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いて作られたクッキー。
- 蕎麦ボーロ(そばぼうろ)
- 蕎麦粉を使った球状、または花状の焼き菓子。京都の菓子屋が発明した。数店が元祖争いを行っている。
- 蕎麦花林糖(そばかりんとう)
- 小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いて作られた花林糖。
- 蕎麦パン(そばぱん)
- 蕎麦粉と小麦粉を5:1の割合で混ぜて卵1個と砂糖・塩少々を加えて練り上げて卵焼き風に焼いたもの。
- 蕎麦ソフトクリーム
- ソフトクリームに蕎麦茶を加えた香ばしさのあるソフトクリームで夏季に信州地域で販売されている。
- ばっと・かっけ・はっと
- そば生地を短冊形に切ったもので、大根や豆腐の鍋物に入れたり、ネギやニンニクなどで味付けして食べる、青森・岩手の郷土料理[18]。
- そば粉入りのクレープ(ガレット)
- フランス・ブルターニュ地方の郷土料理。そば粉、ミルク、鶏卵、ビールを攪拌したものを、熱してバターを入れた平なべで焼く。
- そば粉入りのパンケーキ(ブリヌイ)
- ロシアとウクライナの料理。スメタナやキャビアをのせて食べる。
- そば焼き
- 蕎麦でつくるソース焼きそば。
- そばパスタ(ピッツォッケリ)
- 蕎麦粉が混合されたパスタ。
- 冷麺
- 蕎麦粉を主原料とすることがある。
- そばのカーシャ(東ヨーロッパの粥)
- メミルムク
- 朝鮮半島の料理。蕎麦粉を水に浸けて取り出したでんぷんで作る寄せもの。タレをつけて食べる他、和え物にする。
蕎麦湯
蕎麦を茹でるのに用いたゆで湯の蕎麦湯(そばゆ)を、浸け麺の蕎麦に添えて湯桶で飲用に出す店が多い。この蕎麦湯を残った蕎麦つゆに湯桶から注ぎ入れて割り、最後の締めに飲む。蕎麦を食べ終わる時間を見計らって蕎麦湯の湯桶を時間差で持ってくる店が多いが、蕎麦と同時に持ってくる店もある。蕎麦つゆと割らず蕎麦湯のみを飲む人もいる。残った蕎麦つゆを一旦捨てて、新しい蕎麦つゆと蕎麦湯を割って飲む人もいる。なお、通常暖かい蕎麦に蕎麦湯は添えて出されない。
良水を多量に使用する店では蕎麦湯はサラッと薄く、ゆで湯が少なめで使いまわしている店ほど濃くなる傾向にあるが、ドロッと白濁した濃い蕎麦湯を好む客も多く、サラッと薄い蕎麦湯に文句を言う客もいるため、わざわざゆで湯を煮詰めたり、そば粉や小麦粉を溶かし込んでわざわざ濃い蕎麦湯を作る店もある。
冷やしの蕎麦つゆはそのまま飲むには味が濃いので、この蕎麦湯をいれて蕎麦つゆの出汁(だし、でじる)を味わう目的がある。
近年の蕎麦ブームのため、蕎麦喰いが一般的になり、蕎麦湯での塩分のとりすぎに注意する旨の表示も見られ、蕎麦湯のみを飲む(味わう)人が増えてきた。そういうことから、蕎麦湯に残った蕎麦の風味や、ゆで湯の水の味(蕎麦屋では良水をゆで湯使用することが多い)など、蕎麦湯そのものを味わう楽しみにも焦点があてられるようになった。
なお、蕎麦湯に水溶性の栄養分が溶け出しているために蕎麦湯を飲むという説は、蕎麦の茹で時間が30-60秒と極めて短く、溶け出す量は限られること、またルチンは不溶性であること等から考えると、あまり理にかなってはいない。
酒類を提供している蕎麦屋の一部では、焼酎(甲類)を蕎麦湯で割った「蕎麦湯割り」なるメニューがある。
蕎麦屋
通常、蕎麦を食わせる店は蕎麦の専門店、もしくは蕎麦とうどんのみを扱う店であることが多く、これを蕎麦屋(そばや)という。蕎麦屋は江戸時代中期ごろから見られる商売で、会席や鰻屋に比べると安価で庶民的とされる。蕎麦が好まれる江戸には特にその数が多く、関東大震災以前は各町内に一軒もしくは二軒の蕎麦屋があるのが普通だった。
蕎麦屋の起源は不明だが、江戸時代後期に書かれた2種の書物『三省録』・『近世風俗志』にて、1664年(寛文4年)に「慳貪(けんどん)蕎麦切」の店が現れたとの記述がある。1686年に江戸幕府より出された禁令の対象に「うどんや蕎麦切りなどの火を持ち歩く商売」という意味の記載があり、この頃にはすでに持ち歩き屋台形式の蕎麦屋が存在したことが推測できる。これらの屋台形式の蕎麦屋は、時代や業態によって二八蕎麦・夜鷹蕎麦・風鈴蕎麦などとも呼ばれた。当初は、現在のファーストフードのような小腹を満たす食事であり、その後も軽食といった位置づけが完全に抜けることはないままに推移している。この屋台蕎麦屋の伝統は姿を変えて、現在の立ち食い蕎麦にまで続いてると捉えることも出来る。店を構えた蕎麦屋が増えるのは1700年代後半のことと考えられている。
その一方で、蕎麦を食することを下賎の風習として上流階層が敬遠していたとする史料もある。武家の有職故実の大家であった伊勢貞丈の『貞丈雑記』には蕎麦切りを食することは「古くありし物なれ共、表向などへ出さざる物故、喰様の方式なども記さざるなるべし」と記して、武家や公家などの間では人前で蕎麦を食するものではなかったと解説し、前述の『三省録』でも「下賎のものは買ひて食ひしが、小身にても御旗本の面々調へて(=買って)食ふことなし、近年いつとなく、調へて食う様には成りたり」と記して、かつては生活が苦しい小身旗本でも蕎麦を食べるような事はなかったと記している。
蕎麦屋の特色は、蕎麦を中心に品数があまり多くなく、酒を飲ませることを念頭においているところにある。特に東京ではその傾向が強い。蕎麦屋の酒を「蕎麦前」と称する。現在でも同程度の蕎麦屋とうどん屋を比べると、出す酒の種類は蕎麦屋のほうが多いのが普通である。主なメニューは、各種の蕎麦や酒のほかに、種物(たねもの)の種だけを酒の肴として供する抜き(ヌキ、天麩羅、かしわ、鴨、卵、など、天ぬきの項も参照)や蒲鉾=「板わさ」、わさび芋、焼海苔、厚焼き玉子、はじかみショウガと味噌、また場合によっては親子丼などの丼ものなど。また店によっては、茹でた蕎麦を油で揚げた揚げ蕎麦が品書きにあることもある。これは箸休め、あるいは乾き物として酒肴にされる。
太平洋戦争以前の蕎麦屋には、蕎麦を食べる以外のさまざまな用途があった。まず、町内の人間が湯の帰りなどに気軽に立ち寄り、蕎麦を手繰ってゆくざっかけない店である。またその一方で現在の喫茶店のように、家に連れてきにくい客と会ったり、待ち合わせをしたりする場合にも用いられた。たいてい一階が入れこみ、二階が小座敷になっていることが多く、二階は込み入った相談、男女の逢引、大勢での集まりなどにも用いられたという。
戦後はこうした雰囲気も徐々に薄れてきたが、いまだに味のよい蕎麦と酒を出し、静かな雰囲気で他の料理屋とは違う一種独特な風情を楽しむことができる店も存在する。蕎麦はたんぱく質を最も多く含む穀物で、米と大豆と共に摂ったと同じ栄養バランスがあり、酒と蕎麦の組み合わせは、栄養学的にも優れている。
蕎麦屋を考える上で逸することができないのが、出前という仕組みである。もとより蕎麦は長時間の持ち運びに適さない食物であるが、むかしは蕎麦屋の数が多く、出前の範囲も比較的狭かったために、蕎麦は店屋物の代表格であった。ちょっとした客をもてなすために、あるいは年越し蕎麦を一家で食べるために、町内の蕎麦屋から出前を取る風習は古く、江戸時代から見られるものである。このためには岡持ち(おかもち)と呼ばれる取っ手のついた箱型の道具が用いられ、たいていは店の使い走りが蕎麦を出前し、後で丼や蒸籠などの器を引き取りにゆくことが多かった。勘定は古くは2度目のときにもらったらしいが、現在では1度目のときに精算することが多い。戦後は自転車やオートバイを利用することも多く、高く積み重ねた蒸籠を曲芸さながら肩に担いで片手でハンドルを握る姿は、いっとき蕎麦屋の象徴でもあったが、オートバイでは出前機を用いる方法が普通になり、蒸籠担ぎの曲芸はあまり見られなくなった。
また、鉄道駅やその周辺地域、ビジネス街などの市街地・商業地域、あるいは遊園地、野球場や競馬場などの遊興施設などにて、客が店内のカウンターで立ったまま食べる(立ち食い)・簡易椅子に腰掛けて食べるスタイルの営業形態を基本とした蕎麦屋『立ち食い蕎麦屋』も多数存在する。
詳細は立ち食いそば・うどん店を参照
日本各地での蕎麦文化
蕎麦の嗜好
東京
蕎麦専門店だけではなく、うどんも提供する店もありこのような店も「蕎麦屋」と呼ぶ。立ち食い店も多い。蕎麦と酒を楽しむ趣向もある。
古く江戸では、うどんも盛んに食べられていた。しかし、江戸時代中期以降、江戸での蕎麦切り流行に伴って、うどんを軽んずる傾向が生じたという。江戸でうどんよりも蕎麦が主流となった背景には、白米を多食する人に見られ「江戸わずらい」と呼ばれた脚気を、ビタミンB1を多く含む蕎麦を食べることで防止できたことにもよる。
蕎麦とうどんの抗争を酒呑童子退治になぞらえた安永期の珍品黄表紙『化物大江山』(恋川春町作)は、当時の江戸人の蕎麦・うどんへの価値観の一面を描いていて、意外な資料価値がある。源頼光役は蕎麦、悪役の酒呑童子はうどんである。なぜか、「ひもかわうどん」だけは蕎麦側についており、蕎麦一色だった江戸でも例外的に人気があったようだ。
以後、江戸→東京では、蕎麦を手繰ることに一種の「粋」を見出す高い価値付けさえ生じるようになり、「夕方早くに蕎麦屋で独り、種物の蕎麦を肴に酒を飲む」ことが、スノッブ(俗物根性)さも臭わせる趣味として横行するまでに至る。江戸では、蕎麦を食べることを「手繰る」(たぐる)ともいう。このような言葉を使うこと自体、一つの気取りと言える。
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)でも、粋人を気取るハイカラ遊民・迷亭が「うどんは馬子の喰うもんだ」とうそぶき、上がり込んだ苦沙弥先生宅で勝手に蕎麦の出前を取って一人で喰う描写がある。蕎麦食いの講釈をとうとうと垂れ、薬味のわさびの辛さに涙しつつやせ我慢で耐えて蕎麦を呑み込む迷亭のいささか俗物的な面も否めない粋へのこだわりぶりに比べ、胃弱症の苦沙弥先生が「うどん好き」であることで、うどんの印象は相対的に冴えないものとなる。
同じく漱石作品の『坊っちゃん』(1906年)においても、江戸っ子である“坊っちゃん”が松山で天ぷら蕎麦を注文する一場面が見られる。
漱石が江戸文化の影響を色濃く受けていた事を想起すれば、『猫』での描写は、江戸・東京におけるある種のステレオタイプにのっとったものだったろう。その観念は容易に抜き難く、現在でも東京では、うどんより蕎麦の方が優勢なままである。蕎麦を食べる前提で作られた濃厚なつゆをうどんに用いるのも、これに起因すると見られる。
江戸っ子の蕎麦に対するこだわりや、関西との違いとして上げられる点は以下の様な点がある
- もりを食うときは蕎麦の先だけをつゆに浸して食べる。これは、蕎麦の風味を味わうため。関東のつゆは濃いめなので、ちょっと浸すことで十分なため。
- 口に入れたらあまり噛まずに飲みこみ、喉越しと鼻に通る香りを楽しむ。
- 大きな丼にたっぷりと蕎麦が入っているのは野暮。少なければ2,3枚食べる。
- 箸は割箸。塗箸は蕎麦が滑るので好まれない。
- 酒を飲むのでなければ、さっさと食ってひきあげるのが粋。
- 蕎麦を食べることを「手繰る」と言う。
もちろんこれが正当という訳ではない。「粋」を重んじるが故の、意地や見栄による誇張が多分に含まれている。
関西
関西における蕎麦処の筆頭は兵庫県豊岡市出石町(出石城下町)で、皿そば「出石そば」は広く知られている。これは江戸時代に蕎麦の本場であった信州上田藩の藩主仙石政明が出石藩に国替えとなった際、大勢の蕎麦職人を連れて来て以来の伝統とされる。このためか兵庫県では出石や丹波篠山など地元の蕎麦のほかに全国各地の蕎麦を出す店が多く存在する。
京都は古くからの蕎麦屋が多い。これは背後に控える丹波地方でそば作りが盛んであったためである。また、有名なニシンそばは幕末に生み出されたものであり、古くから京都にあった惣菜である「ニシン昆布」に発想を得ている。全体的に見れば、大阪と同じくうどんの方が好まれる傾向にあるが、大阪のようにそば屋がうどんを提供する場合は極めて稀である。
大阪では「そば」より「うどん」の方が一般的に好まれるとされ、立場が東京とは全く逆である。うどん屋が利用者のニーズに応えて「そば」も出しているという概念が強く、蕎麦屋であってもうどんを提供する店も存在する。また、出汁は元来うどんに用いる前提で作られた、淡口醤油を基調とした透き通ったものを用いることが多い。しかし、それによって生まれた文化もあり、たぬき(油揚げの乗ったそば)やとろろ昆布が乗ったこぶそばは大阪が発祥である。また、そばは産地の関係か一般に黒そば、田舎そばなどとと呼ばれる殻ごと碾いたものが好まれる傾向にある。
日本の農山村における蕎麦
日本の農山村において、伝統的に蕎麦切りはもてなしの料理であった。焼畑でソバを栽培していたような山村にあっても、蕎麦切りは祭礼や正月、来客時のごちそうであると認識されていた。どこの家でも素人ながらに蕎麦打ちの技術を持っており、来客があると、家の主人もしくは主婦が蕎麦を打ち、食事として供した。
食べ方としては、にんじんや椎茸などを細切りにして煮込んだ澄まし汁やみそ汁をつけ汁にして、もりで食べる。また、蕎麦粉の節約のため、細切りの大根(薬味とは異なる)や、春にはセリなどをゆでて、麺と混ぜて盛りつけて食べることもあった。
一方、蕎麦掻きは、作るのが簡単であることもあり、普段、農作業の合間に口にするような食べ物であった。他にも、その他の雑穀類と同様、団子にしたり、野菜を煮立てた中に蕎麦粉を入れてかき混ぜるような食べ方もあった。
食糧の自給をほとんどしなくなったことや、都会風の蕎麦の食べ方の普及により、地域ごとに特色のあった蕎麦の食べ方は廃れつつある。
各地の名物そば
ソバは痩せた土壌でも栽培できたことから、北は北海道から南は九州鹿児島まで、山間地や新規開拓地で盛んに生産された。
なお、各地の有名・老舗蕎麦店、立ち食い蕎麦屋、蕎麦チェーン店などについてはそれぞれ関連項目を参照。
北海道
詳細は北海道の蕎麦一覧を参照
東北地方
青森県
- 津軽そば(津軽地方)
- 元々はつなぎに大豆を使い、手間を掛けて作られる蕎麦[18][21][22]を指していたが、その手間から作る人や店が減少したことによって津軽地域で食べられる通常のそばを指すことも多くなった[23]。
- 夏井田そば(青森市)
- 白神ソバ(西目屋村)
岩手県
詳細はわんこそばを参照
秋田県
山形県
- 板そば(山形県内陸部)
詳細は板そばを参照
- 紅花そば(村山地方)
- 紅花を練り込んだ蕎麦[18][24]。
- 冷たい肉そば(山形県河北町谷地)
- 茹でた鶏肉の薄切りを具材に用いた蕎麦[25][26]。
- 山形そば(山形市)
- 蕎麦店が江戸に誕生してから時間をおかず、蕎麦に関する技術が山形に伝わって定着し、常食されるようになった[27]。松尾芭蕉の「曾良旅日記」に羽黒山で蕎麦を食べた記述がある[27]。
- 天童そば(天童市)
- 手打そばが観光資源となっており[28]、また乾麺も生産されている[29]。
福島県
- 裁ちそば(会津地方)
- つなぎ粉を一切使わない生地で脆く畳むのが難しいため、生地を伸ばした後に数枚から十数枚重ねて裁つように切るところから、こう呼称されるようになった[18][30]。
- 磐梯そば(磐梯町・猪苗代町)
- 地産そば粉と名水百選にも選ばれている磐梯西山麓湧水群の天然水を使用した蕎麦[31]。磐梯そばの知名度向上と地域活性化を目的として2007年に磐梯町で「第13回日本そば博覧会 in 会津・磐梯」が開催された[32][33]。
- 山都そば(旧山都町)
- つなぎを一切使用しない、地産そば粉と伏流水を使用した蕎麦で、手打ち体験にも力を入れている[34]。
- 桧枝岐そば(桧枝岐村)
- 桧枝岐産の蕎麦(前述の「裁ちそば」等)[35][36]を指す。
関東地方
茨城県
栃木県
- 今市そば・日光そば(日光市)
- 日光市今市地区(旧今市市)は、ソバ生育に適した気候と地形であったことから古くからの産地で、蕎麦屋は老舗や町おこしの観光資源として新たに誕生した店もあり、地域活性化の一環として秋には「日光そばまつり」が行われている[38][39]。
- 出流そば(栃木市)
- 地産地消(地元で生産し地元で消費する)の方針で取り組んだ「盆ざるそば」が主流[40]。
- 仙波そば(佐野市仙波)
- 佐野市(旧葛生町)仙波地区にて地産地消の方針で取り組んだそば[41]。
群馬県
埼玉県
- 秩父そば(埼玉県秩父地方)
- 古











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